誰が言ったか、「涙の強盗」という形容が気に入って、頻繁に使ってしまう。不治の病で誰かが死ぬ、離ればなれになっていた家族が数十年ぶりに再会する、慎ましい生活を送っていた夫婦を襲った悲劇と奇跡……その手のドラマや小説を受け止めて、涙を流す。でもそれは、心底揺さぶられた結果として流れた涙ではなく、こちらの感情とは裏腹に奪われていく涙である。主体的に流しているのではない。そりゃあ、人が白血病で亡くなれば、悲しい。連れ添った妻と会えなくなるとなれば、寂しい。だから、泣く。そういう装置をまったく作為的に適材適所に放り込んでくる作り手は、私たちの涙を見て「思いが伝わった」と感激の涙を流すのかもしれないが、貴方の涙は本物でも、こちらの涙は本物ではないのである。
何丁目の夕日だったか失念してしまったが、あの頃は素晴らしかった、夢があった、希望があった、と万事が前向きだった昭和の時代を見せるのもまた、不治の病と同様に「涙の強盗」の常套手段である。昭和の終盤に生まれた私は、その手の強盗に遭いやすい。古き良き時代のプロジェクトを大仰なBGMで男たちの友情として帰結させる取り組みにも、うっかり多くの涙を奪われてきた。
過ぎてしまった時代の輪郭に、後々から歩み寄っていくことは難儀だ。多くの人物評伝がそうであるように数珠つなぎで人間を辿ることはできても、輪郭をしっかりとつかみとることは難しい。そこでの好都合が、強盗が多発する遠因となる。ドラマチックなストーリーとして昭和が突きつけられる時、史実とともに感情も改ざんされていく。だからこそ私は、感情をいたずらにまぶしてくるそれらよりも、ルポライターやノンフィクション作家が熱を込めた作品から、時代の輪郭を察知しようと試みてきた。ある断片から漂う時代の余熱を感じ、少しでも本人の主観から嗅ぎ取ろうとする。
そういう読み方を続けてきた身からすれば、桐野夏生が紡ぐ物語は、往々にしてルポルタージュである。桐野の作品は時折、「現実を凌駕する」と評される。作品に記した後で同じような事件が現実に起こるから、という指摘もあるようだが、占いの答え合わせをするような分析は浅はかにも思える。時代への嗅覚の積み重ねが現実をまたぐ、ということではないか。桐野は当然、涙を盗まない。読者の感情を盗まない。むしろ、その感情は、貴方の体内にも宿っているものではないですかと、こちらの腹の中をまさぐり、指し示してくる。見透かされた後で小説から立ち上がる情景が、読み手にとっての時代の輪郭となる。読み終えた後で、その明度に畏怖の念を抱く。
本作で描かれる1963年の情景もまた然り。本作は『顔に降りかかる雨』『天使に見捨てられた夜』『ダーク』などに登場する私立探偵・村野ミロの義父・村野善三を描いた作品だ。東京五輪を翌年に控え、街全体が浮つくなか、村野は週刊誌「週刊ダンロン」の“トップ屋”として、街でネタを拾い集めては原稿用紙に向かい続けていた。63年9月、地下鉄銀座線で爆破事件に遭遇、未解決事件として世間を騒がせていた連続爆弾魔・草加次郎を追いながら、自らも女子高生殺人の容疑者として睨まれてしまう。
実際の出版史・ジャーナリズム史に準じた設定が続く。57年、大学を出た村野は、週刊誌づくりの人材を探していた潮流出版の門を叩く。当時は、新聞社系週刊誌が軒並み成功しており、その波に出版社が後追いで乗っかろうとしている時期にあった。情報源やデータベース、遊軍記者を持たなかった出版社に週刊誌作りは難しいと言われていたが、それを覆した存在が“トップ屋”だった。
村野に対して開口一番「俺の作る週刊誌は面白いよ」と吐いたのが遠山良巳。遠山は「新聞社の出す週刊誌なんざ四角四面でつまらない。あいつら週刊誌を新聞のアタマで考えてやがるのさ。その点、読み物作りじゃ出版社に敵わないんだ。見てな、今に抜くからさ」と凄む。遠山の一番弟子となった村野は、「遠山軍団」の両輪となった後藤伸朗と共に、発刊準備から携わった「週刊ダンロン」を動かすと、雑誌は瞬く間に60万部を超え、週刊誌の中で売り上げトップに躍り出る。
実際の“トップ屋”旋風には、梶山季之、草柳大蔵、竹中労、吉原公一郎、五島勉といった名前が並んでいた。桐野は、本作に登場する遠山軍団のボス・遠山良巳のモデルは梶山季之であり、後藤伸朗のイメージは草柳大蔵だったと後に語っている(「文藝」2008年春季号)。新聞社系週刊誌に敵うはずもないと言われていた後発雑誌が見事に隆盛し、新聞社系を負かしたのは“トップ屋”の存在が大きい。そんな一つの潮流を興した彼らは、あたかも男っぽく勇ましい職業であるかのように、誤解されるようになる。
偽りの花形イメージに大いに寄与したのが、丹波哲郎が主演を務めた連続ドラマ、その名も『トップ屋』だった。このドラマを誰よりも茶化したのが“トップ屋”本人たちだった、というのが皮肉だ。梶山季之はドラマを見て、「拳銃をぶッ放したり、暴力団と殴り合うような威勢のいいトップ屋なんて、存在するはずがない」し、「脚色して、非現実的な“現代の英雄”をつくりあげたのだろうが、現実にトップ屋の仕事をしている人々にとっては、有難迷惑な話」と心底憂鬱そうだ(梶山季之『トップ屋戦士の記録』徳間文庫)。梶山のもとを訪ねてきた草柳大蔵もこのドラマを見て、同様に憤慨する。
「泣かせるねえ、全く! 四頁十五万円でトップ記事が売れたら蔵が二つ三つ建ってらァ。俺たちの地味な苦労を知らねえで……。あれじゃァスーパーマンだよ。第一、警視庁や監察医務院が、あんなにアッサリ資料をくれるかッてんだ。世間からあんな風に誤解されてるとしたら、俺はもうトップ屋を止めるよ」(同前)
トップ屋は、そんなに高尚な扱いを受けちゃいなかった。桐野が紡ぐ“トップ屋”像は勿論その辺りを誤らない。殺しを疑われた村野は、刑事からの取り調べでこのように罵られる。
「トップ屋なんて犬と同じさ。てめえの益になることしかやらねえ。うまい肉があればすぐそっちに尻尾を振るのさ」「社会の害虫だ」
“現代の英雄”であるはずがないのだ。正義のために悪を倒すのでも、より良い明日を迎えるためでもない。人様の下世話な好奇心を満たすために、地を這い、木屑を拾い集めるようにネタを探し、文字を書き、売り捌く。竹中労はルポライターという職業を語るにあたって、「モトシンカカランヌー」という沖縄の言葉を引っ張った。モトシンカカランヌーとは「資本(もとで)のいらない商売、娼婦・やくざ・泥棒のことだ。顔をしかめるむきもあるだろうが、売文という職業もその同類だと、私は思っている」(竹中労『決定版 ルポライター事始』ちくま文庫)。
経済白書に「もはや戦後ではない」というフレーズが登場した56年、「太陽の季節」で石原裕次郎が映画デビューし、上り調子の華々しい時代が本格的に幕を開ける。64年の東京五輪までは膨らみ続けるに違いないと決め込んだ人々は、その勢いを妄信する。だが、その反面、東京が抱えていたのは、激動の中で地に足を着ける難しさである。本書にはこうある。
「ものすごい速度で東京は変わっていた。道路はどこも穴だらけで、古い建物はどんどん取り壊されていく。昨日見た風景が今日はもう変わっているから、自分の記憶が違っていたのだろうかと不安になって街角で佇むことすらある」
東京五輪の前年の63年は、加速する経済成長の膿みが鋭利な事件として表出した一年でもあった。まずは本書の題材となっている草加次郎事件。62年11月、島倉千代子の後援会事務所に爆弾が届いたのを皮切りに、63年の秋まで、劇場、デパート、地下鉄などが次々と爆破される。脅迫状に残された「草加次郎」の筆跡や指紋が検出されていたにもかかわらず、事件は迷宮入りしてしまう。下町・入谷での「吉展ちゃん誘拐事件」が起きたのもこの年。出稼ぎ労働で福島から上京するも、自身が持つ障害や抜け出せない貧困に嫌気がさした小原保が起こした誘拐殺人事件だ。前例の少ない営利誘拐に警察もマスコミも翻弄されたが、そこには、東京から置いてけぼりにされる地方出身者の鬱屈があった。埼玉県狭山市では高校一年生の女性が帰宅途中に行方不明になり、身代金の要求を受ける。後に逮捕されたのが石川一雄、この事件は冤罪が疑われる事件として裁判が長期化した。
大きな催事に向かうとき、そのために心をひとつにしようと大勢が試みるとき、そこからこぼれ落ちる人が出てくる。あの時代、捨てられる人々の臭いを嗅ぎ取ることは、トップ屋の仕事のひとつでもあった。村野の眼に映る東京の描写が実に生臭い。本書の単行本が刊行されたのは95年だが、桐野は本書を書くにあたり、「メンズクラブ」の編集部に出向き「街のアイビーリーガーズ」をコピーするなどして、当時の東京の風俗や風景を拾い集めたという。五輪の翌年に札幌から東京に越してきた桐野にしてみれば、五輪前夜の東京は具体像ではなくイメージの産物でしかないはず。しかし、丹念な資料探索によって紡がれた東京は、カラー映像のように鮮明である。
近年、桐野夏生は、自身の体感や記憶に基づく小説を記している。『抱く女』では、72年・吉祥寺を舞台に、学生運動に没頭する男たちの横で生きづらさを抱える女性を描いた。「夜の谷を行く」(「文藝春秋」2016年3月号で連載完結)では、連合赤軍事件に名を連ねた女性たちを今一度凝視し、指輪をはめたり、髪を梳かすなどして「女」をちらつかせた結果として、惨死を余儀なくされた若者たちの歪んだ秩序を改めて活写した。いずれも私小説ではないが、同時代を生きた事実が突き動かした小説と言えるだろう。
社会の居心地の悪さ、およびそこに潜む虚無、女という性が否応無しに感知させられる差異、桐野作品に通底するのがこれらの要素だとすれば、なぜ桐野は、95年の時点で、見知らぬ過去の男たちの群像を描けたのだろう。この生臭さはいかにして立ちこめたのだろう。
桐野は、取材をする上で「足裏の感覚や、においは忘れない」「触覚と嗅覚が一番大事」(「新潮45」2015年9月号)と語る。この感覚を前にして、今一度、竹中労の言葉が想起される。竹中は、フィクションとノンフィクションの境目を溶かすように、繰り返し「ルポルタージュは主観だ」と言っていた。
「なべて表現は作為の所産であって、“虚実の皮膜”に成立する。事実もしくは真実は、構成されるべき与件(データ)でしかありません。そもそも……、無限に連環する森羅万象を有限のフレームに切りとる営為は、すぐれて虚構でなくてはならない。活字にせよ映像にせよ、ルポルタージュとは“主観であります”。実践といいかえてもよい、ありのままなどという、没主体であってはならない」(「現代/ルポライター論」『別冊新評 ルポライターの世界』)
桐野作品は涙を盗まない。そして「ありのままなどという、没主体」を描かない。小説が「虚実の皮膜」だと認知しているからこそ、桐野はそのフレームに圧倒的なリアリティを注ぐ。フレームがグロテスクに光る。読者は時に、そのフレームを外す。あるいは、外される。
“トップ屋”の生き様を描いた桐野の筆致もまた、竹中のルポライティングがそうであったように、力強い主観だ。桐野は、あの時代の東京を生きていなかったというのに、その眼差しは、時代を貫く。2020年五輪に向かって、再び享楽的に疾走したがる中枢の姿がちらつく昨今がむず痒い。五輪前夜の臭いがキナ臭さも含めて立ちこめているこの小説は、今、改めて、いくつものメッセージを滲ませているのではないか。この鋭利な小説を、今こそ体に刺したい。







