部落問題という言葉で何を思い浮かべるだろうか。「なに、それ?」から「もう、勘弁して」まで、人によってさまざまだろう。
被差別部落で生まれ育った私は、当事者にして取材者でもあるのだが、実を言うとこの問題には長いあいだ違和感を持ち続けてきた。私がこの問題に関心があるのは、一世紀以上も前に廃止された身分制度の名残りが、いまだに残っていることへの違和感である。
違和感がありながらなぜ関心があるのかというと、私は他人があまり目を向けないものに惹かれるのである。有名レストランよりも場末の食堂、大通りよりも路地裏を好む。ピンク・レディーだと、垢抜けたミーよりも演歌歌手っぽかったケイの方が好き。
そんな私に、部落問題はぴったりである。なにしろこの問題は、多くの人が語りたがらないタブーである。マイナー好みの私にはうってつけである。
趣味として関心を持つにはいいが、知らない人に部落問題を説明するのは、とても骨が折れる。部落の起源や歴史について書かれた書物はあまたあるが、現状に関する素朴な疑問に答えてくれるものは、ほとんどない。こうなったら、自分で書くしかない。
章立てはすぐにできた。構想五分だった。部落とは何か、部落民とは誰か、どんな差別があるのか、なぜ部落差別は残っているのか、どうやったら差別はなくなるのか、同和教育は必要か……。部落問題を考える上で避けては通れないテーマを、私が見聞きした話をふんだんに盛り込みながら書き進めていった。構想は五分だったが、執筆には半年以上かかってしまった。
単純かつ素朴な疑問をわかりやすく説明するのは難しい。「この問題はこう考えてください」と説教臭くなった章もあったが、すべて書き直した。建前やキレイゴトを極力排除したので、同和対策事業で得をしたという私の話も書いた。部落民は関係概念であるという学説(俗説?)や、部落解放運動に少なからず影響を与えてきた部落解放同盟の現状認識や解決方法についても疑問を呈している。この業界で、ますます私は嫌われるに違いない。
『はじめての部落問題』というタイトルにあるように、まずはこの問題をまったく知らない人に読んでもらえるよう、読みやすさとわかりやすさを心がけた。「はじめて」には、これまであまり触れられなかった、触れても建前に終始していたテーマや見方についても踏み込んでますよ、という意味もこめている。
たとえば、「部落は怖い」とよく言われるが、九九年に大阪府がおこなったアンケート調査では、部落の中にも五人に一人がそう考えているという結果が出ている。下品、遅れている、貧しい、なまけものなどのイメージを持つ比率は、部落内外でさほど変わらない。
「怖い」代表選手はヤクザである。かつてヤクザの多くは、就学や就職の門戸を閉ざされていた部落出身者だった。国や地域を問わず、マイノリティの犯罪率は高い。差別や抑圧がアウトローを生み出すのは、何も部落に限ったことではない。
ところが部落問題が人権というフィルターを通して語られると、「部落は怖くないんですよ」という話だけで終わってしまう。しかし、差別や抑圧が「怖い部落」を生むのは当たり前の話であって、「部落は怖くない」と言えば嘘になる。時代や情況、個人差によってさまざまな部落があり、「怖い部落」だけを排除することはできない。同じように「部落はやさしい」という見方についても疑問を投げかけた。やっぱり、私は嫌われる。
部落問題は、日本の歴史と文化が密接に関係している。したがって部落問題論は日本社会論でもある。「部落差別は、なぜ残っているのか」という章で、私が挙げたキーワードは「家」「違い幻想」「異質排除」「差別されることへの恐怖」「普通願望」「世間」「マイナスイメージ」の七つである。
数ある差別の中で、部落差別だけにあてはまるのが「違い幻想」である。部落の起源には諸説があるが、かつてまことしやかに語られ、信じられてきたのが異民族・異人種起源説である。
日本民俗学の始祖、柳田国男は「恐クハ牧畜ヲ常習トセル別ノ民族ナルベシ」と論じ、慈善活動家であった竹葉寅一郎は「えたの女が生殖器の構造異なれり」と身体構造の違いを指摘した。今から見れば、完全に“お笑い部落観”である。部落民は異民族でも異人種でもない。ましてやなんらかの身体的特徴を持つわけでもない。部落問題は、血縁と地縁をめぐる同じ日本人の中での差別である。差別する側が根拠とするのは、一世紀以上も前の先祖の身分が賤民(エタ)であったらしいという実にケッタイな問題である。これといった違いがないのに、違いがあるように思われているのである。
このケッタイな差別に反対したのが、大正から戦中にいたる水平社運動であり、戦後の部落解放運動である。七○年代以降の部落は、同和対策事業によって、経済、教育、就労などにおいて部落外との格差は大幅に改善された。今や部落は、部落外と「同じ」になった。それで果たしてハッピーエンドなのか。これは私たちひとりひとりや日本という国家がどうあるべきなのかという問題とも重なってくる。私の考えは……この続きは、手にとって読んでいただきたい。
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