若者の成長を描く江神シリーズは、主人公たちが学生であるから、何度も事件に遭遇するにしても頻度には限界がある。それに対し、研究のフィールドワークとして警察捜査に協力する火村は、多数の事件に関わって当然の立場である。有栖川は書きたいことがらによって、シリーズの作品世界を変えている。加えて二〇一〇年の『闇の喇叭』から、空閑純(そらしずじゅん)いう少女を主人公とする探偵ソラ・シリーズをスタートした。
江神シリーズの場合、推理小説研究会の部員たちがレギュラーになっていた。火村シリーズでは、学者の協力を苦々しく思う警察関係者もなかにはいるが、大部分からは歓迎されており、助手的な立場で作家アリスも現場への同行や捜査会議への出席が認められている。江神シリーズも火村シリーズも、ミステリ小説やミステリ作家に親和的な世界が設定されているのだ。それに対し、探偵ソラ・シリーズは、第二次世界大戦後、南北に分断されたパラレルワールドの日本を舞台にしており、私的探偵行為が禁止され、探偵狩りが行われている設定である。
ミステリに非親和的な世界をあえて舞台にして、従来とは異なる角度からミステリをとらえようとするチャレンジだ。過酷な世界でソラは、名探偵と呼ばれた両親に続き、自らも探偵になろうとする。このシリーズもまた、江神シリーズとは違った形で成長を描いている。いずれもミステリ小説であると同時に青春小説なのだ。
一方、成長をテーマとしない火村シリーズは、フィールドワークを行う犯罪学者というキャラクターを活かし、難事件の謎を解くというエンタテインメント性に特化したシリーズだと思われた。ところが、『菩提樹荘の殺人』では、成長にかかわる「若さ」をモチーフにした。学生アリスと江神の出会いからシリーズのヒロイン・有馬麻里亜(ありままりあ)が推理小説研究会に入るまで、彼らの成長を意識した短編集『江神二郎の洞察』をまとめるのと『菩提樹荘の殺人』収録作の執筆時期は、前後していた。このことが、著者の思考に影響したのではないかと想像する。
江神シリーズでは、留年を繰り返し、アリス入学時に二十六歳だった江神が「長老」と呼ばれていた。これは、親との関係や本人の性格などに起因する、「若さ」のひとつのありかただ。成長過程で、他人より早くものごとを悟ったような状態になる例がある。それが「長老」と表現されている。