書評

「火村英生」シリーズのマジック

文: 円堂 都司昭 (文芸・音楽評論家)

『菩提樹荘の殺人』 (有栖川有栖 著)

 一方、本書では火村に若白髪が目立つと書かれている。「サザエさん」のように、三十四歳のまま年をとらないが、若白髪は成熟の過程にあることを示す描写だし、学生時代のエピソードも紹介される。火村英生にも、時間的な厚みは与えられている。だから「俺は万年青年なんかよりも老いに寄り添えている人間を見る方が心が安らぐんだ」という彼のセリフも、さほど不自然にならない。年をとらないキャラクターを主人公にして「若さ」という時の移ろいを語ることもできる。小説のマジックだ。

 そのマジックが存分に発揮されたのが、火村シリーズ最長の作品『鍵の掛かった男』(二〇一五年)だろう。梨田稔(なしだみのる)という六十九歳の男が、五年も暮らしたホテルのスイートで縊死していた。殺人を疑わせる点はなく、警察は自殺と判断する。だが、同宿していた作家・影浦浪子(かげうらなみこ)は、納得しない。「今まさに警察の不手際によって完全犯罪が成立しかけているのです」とアリスに訴え、火村をも捜査へと動かすことになる。密室、クローズド・サークル、見立て、ダイイング・メッセージといった本格ミステリ的な派手さのある現場ではない。老いた男の死の現場に奇矯さはなく、特に手がかりがあるわけでもないし、影浦の思い込みとも考えられる。二億円以上も預金を残したとはいえ、ボランティアに勤しんでいた梨田は、華やかな性格ではなかった。事件自体は地味なのである。

 しかし、身寄りがなく、周囲が知らない彼の過去になにがあったのか。多忙な臨床犯罪学者に代わってアリスがそれを地道に掘り起こし、やがて火村に推理をバトンタッチして意外な展開になる同作は、シリーズ最長になった。被害者の人生という時の移ろいへの興味が、この長編を牽引している。本格ミステリの多くは、事件がなぜ奇妙な形になったかが最大テーマだが、本作では被害者がどんな人間だったかが焦点になる。『江神二郎の洞察』所収の短編「除夜を歩く」では、ゲーム空間であるミステリを「閉じた城」として語る学生アリスに対し、江神が現実のほうが「閉じた城」だと応じる。世界という有限の空間、そして肉体に人間は閉じ込められているのだと。それに対し、『鍵の掛かった男』が扱う被害者の過去という「閉じた城」は、学生アリスがいう意味と、江神のいう意味の両方をあわせ持っているように思う。

 不老のキャラクターにふさわしいとは考えられないテーマに対峙した点で、『鍵の掛かった男』を『菩提樹荘の殺人』の発展として読むことも可能である。火村英生のフィールドワークの範囲は、思いのほか広いのだ。

菩提樹荘の殺人
有栖川有栖・著

定価:本体590円+税 発売日:2016年01月04日

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