黒澤監督の嫌いなものは
野上 田草川さんの新刊『黒澤明VS.ハリウッド』読後の第一印象から申し上げます。とにかく、山ほど黒澤さんに関する本があります、私の名著の『天気待ち』も含めてね(笑)。でも、その中でこれが一番面白い。最高だと思います。五年もかけてお調べになって、苦労されただけのことがあるなと。全部事実で裏打ちされているのがとにかく気持ちがいい。
それと、エルモ・ウィリアムズ(『トラ・トラ・トラ!』のプロデューサー)という人がよく描かれていて魅力的ですね。黒澤さんの感じもよく出てます。それに加えてハリウッドの大物であるダリル・ザナックがいいでしょう。まるで小説を読むみたいにすらすらと読めました。
田草川さんは黒澤さんが『トラ・トラ・トラ!』の撮影に入る直前、一九六八年十月の京都以降、黒澤さんとはお会いになっていないのですか。
田草川 ええ。あのときちょっとご挨拶らしいことをして別れて以来、お会いしてないですね。実は僕、その後いくつかの学校でシェイクスピアの講座を持って教えていたんですけど、国際シェイクスピア学会というところで「シェイクスピアと映画」というテーマがあったんです。そのときに、これはやっぱり日本の場合だったらシェイクスピアが原作の『蜘蛛巣城』や『乱』を撮られた黒澤監督だと思いまして、もう一度どうしてもお会いしてお話を聞きたいと、黒澤さんの甥ごさんである井上芳男さんに仲介をお願いしたんです。そしたら、黒澤さんは京都で転ばれた後まだリハビリ中だからもうちょっと待つようにと。でも、そのうちに亡くなられてしまって、晩年は遂にお会いすることができませんでした。
野上 それは残念なことでしたわねえ。この本には契約の話、それから診断書の話が重要な検証テーマとして出てきますね。私も『デルス・ウザーラ』や『乱』のときのことを思い出します。それと、黒澤さんはお金の話をすることがお嫌いなんです。だから、プロデューサーは黒澤作品で金を儲けようとする悪いやつだ、なんて極端なことをおっしゃったりする。でも、ダリルのことは良くおっしゃってましたよ。残念なのは、プロデューサーであるエルモの人となりをご存じなかったこと。
田草川 エルモは非常に誠実な人です。当時からそう思っていましたけど、この間会ってきて、つくづくそう思いました。今年九十三歳。でもたいへんにお元気で、自動車も運転できるんだ、と言っていました。
野上 だから『トラ・トラ・トラ!』で別れてから二十二年後、黒澤さんのアカデミー名誉賞授賞式会場で会ったときにエルモがお祝いの言葉を一言述べようとしたら、黒澤さんはぷいと背中を向けて歩いて行っちゃってたいへん寂しかったというエルモの言葉には、じんときちゃいます。黒澤さんにはたぶん、自分をひどい目にあわせた人物という印象があったのでしょうけど。
田草川 逆に、見込んだときには相手の方に非常に尽くしてしまうんでしょうね。僕から見た黒澤さんは、愛情に飢えていて寂しがり屋という感じがしました。僕の場合は、黒澤監督がわりあいお暇なときの酒のお相手ですから(笑)、特にそういう感じがしたのかもしれません。
野上 この本の中で特におかしかったのは、アメリカ側ユニットの監督であるリチャード・フライシャーが黒澤さんと初めてホノルルで会って食事したときにケチャップをかけたら、すぐに「このケチャップ野郎」と仇名(あだな)するところ。黒澤さんは料理にケチャップかける人はだめなんです。フライシャーについては作品の『ミクロの決死圏』、あれがお嫌いだったでしょ。
田草川 ええ、思い出しても痒くなるって言っておられましたからね。あんまり気持ちのいい映画じゃありませんけど、あれほど嫌わなくてもいい(笑)。しかも、あれを見てからは「ミクロ野郎」ですからね(笑)。
野上 でも、フォックス・サイドでは黒澤さんのことを「ヘルムート」なんて仇名している(笑)。お互いにやりあっていますね。
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