茫然自失する精神病理
野上 黒澤さんの精神病理の話も大きなテーマになっていますね。ご本人も『蝦蟇の油』に書かれています。血管がクエスチョンマークの形になっていて「てんかん」症状を誘発すると。ドストエフスキーやゴッホにもあったというから、天才病なのでしょうか。
田草川 突然茫然自失して意識が途切れちゃう。野上さんはかなり前からお気づきになっておられましたか。
野上 『デルス』の前ですね。だから、私、すごく心配したんですよ。
田草川 僕もホテルでお酒の相手をしているときなんかに、何回か立合いました。部屋に二人きりという時間がたいへん多かったから。あれ、俺、まずいこと言ったかなと、最初はそんなふうに思った(笑)。しばらくするとストップモーションが解けて、また話が回りだす。まさにプッツンというか、フリーズです。何回か経験した後は、ああ、これはこういうトラブルなんだな、と思っていました。黒澤監督が解任通告のときのことをまったく覚えておられないというのは、本当かもしれません。記憶が欠落したのかもしれない。
野上 あ、そうそう、あそこのシーンすごく感じが出てますね。また、通訳が誰だかわからないというのもおかしい。この場合、言葉は重要ですからね。
田草川 エルモに何度聞いても、解任通告には一人で行ったと言うんですよ。ということは、誰か自分の言葉を日本語にしてくれる者がいるという前提で行ったとしか考えられない。テツちゃんはロビーにいるわけだから、彼ではありえない。僕は鍵谷さん(山本五十六にキャスティングされていた鍵谷武雄高千穂交易社長)の秘書じゃないかと思っているんですが、結局最後までわかりませんでした。だから、この本が出れば、いや、実は、みたいな話が出てくるんじゃないかと期待してるんですけれど。
その中でどうにも不思議なのは、黒澤さん自身が、クビだと言われたことはない、いきなりみんながクビだと言っていたと話されていることです。これはさっきのプッツンのところもあるかなという感じがする。
野上 クビなんて黒澤さんには耳慣れない言葉だし、第一あり得ないと、日本での常識でいえばそうなのでしょうが、アメリカで監督交代というのはよくある話です。だけど、黒澤さんはそんなことがまさか自分の身の上に振りかかるなんて思いもしないでしょうね。
田草川 ましてや通告する相手が、自分が存在をきちんと認識していないエルモ・ウィリアムズですからね。チンピラがいちゃもんつけに来たみたいな。だから、きちんと状況を把握できなかった可能性は大いにあります。
野上 黒澤さんはこの映画のテーマは「悲劇」だとおっしゃってたらしいけど、ほんとにエルモにとっても黒澤さんにとっても悲劇ですね。可哀相になってくる。
田草川 黒澤さん自身が映画の広告の中で言っている「優秀な能力とエネルギーの浪費」そのまんまですね。
野上 田草川さんは「あとがき」に黒澤さんとの関係を初めて書いてらっしゃいますね。本の頭のほうに書かなかったというのは、やはり構成上の妙を考えられてですか?
田草川 僕はこの本を、黒澤さんに読んでいただいても恥ずかしくない本にしたい、そのためには客観的な記述に徹しようと思った。だから「あとがき」なんかなくてもいいと思ったのですが、編集担当の人が、カミングアウトっつうのをやれと(笑)。
野上 それはあるほうがいい。ああ、そういうことだったのかと、最後に納得できます。
田草川 エルモに会ったときにも、「そんな三十年以上も昔のことをお前、いまになってどうして書こうと思ったんだ」と聞かれましたよ。「自分が疑問に思ったことを知りたいから、いろいろ調べて書こうとしてるんだ」と言ったんですけど、そしたらエルモは、「そうか、本ができたらダリルに読ませてやりたかったな」と言ってましたね。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。