青柳哲郎というキーパーソン
田草川 一九六五年の『赤ひげ』から七〇年の『どですかでん』までの五年間を、黒澤さんがハリウッドにひどい目にあった時期と理解されている方がたいへん多い。それは非常に大まかに言えば正しい認識だと思いますが、今回、あれは何だったんだろうかというふうに考え調べて、黒澤明監督がハリウッドにひどい目にあったというだけじゃ、これはちょっと割りきれないな、と思っているんです。
野上 つまり、映画製作の方法が日本とアメリカとではまったく違うということの認識が黒澤さんになかったうえに、それを理解させられる人がいなかった。だから、黒澤さん本人は総監督のつもりでいても、契約はそうはなっていなかった。それならばテツちゃん(青柳哲郎プロデューサー)がもっと説明するべきですよ。もともとテツちゃんは、黒澤さんの撮影の仕方なんかまったく知らなかったのですよ。それなのにあの頃の黒澤さんは、「テツが一人で頑張ってるよ」なんて、もうメロメロに気に入っていた。だけど、テツちゃんもある意味じゃ大変だったと思いますよ。黒澤家にお金がないときですからね。田草川さんはテツちゃんとはお会いになってるんでしょう?
田草川 ええ、何回もね。正月には毎年テツちゃんの自宅に行って酒飲んでた時代もあったんです。この本の企画が立ち上がってからも彼に、これは自分で書いたほうがいいよと言ったんです。その気があるんだったら僕も世話をするから、そのほうがいい、そうでないと白井佳夫さんが松江陽一さんと組んで書いた「『トラ・トラ・トラ!』と黒澤明問題ルポ」が真実であるということで残っちゃうよと。もう一つは、英文で書かれ海外でも読まれているドナルド・リチーさんの『黒澤明の映画』という本ですが、ここには黒澤明がハリウッドに口うるさく言われることを嫌ってサボタージュしたんだと書かれていて、この説はものすごく流布している。要するに共通するところは、責任は青柳哲郎にあると。キーパーソンがいたとすればそれは青柳だったんだから、彼が何かおかしなことをやったと書かれた本が流通している。「これでいいの?」って話をしたんですけど、テツちゃんは結局断ってきました。
野上 私もテツちゃんに、あなただって言い分があるでしょう、それを聞かせてよって言ったんですがね。彼は、「だってさ、のんちゃん、黒澤さんのうちに金入れるだけでも大変だよ」と言っていましたよ。
田草川 黒澤さんは根来塗(ねごろぬり)の素敵な棗(なつめ)とか高坏(たかつき)とか、いろいろ持っておられたでしょう。全部あれ、なくなったそうですね。それから前田青邨さんの兜を描いた絵も。
野上 あれは青邨さんが黒澤さんのために描いた素晴らしい絵です。売ったかどうか、人のうちの事情なんでわかりませんけど。
田草川 テツちゃんの扱っていた金額も、一ドル三百六十円の時代ですから、半端なお金じゃないんです。
野上 ほんと、三百六十円の頃だもの、すごいですよ。
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