インタビューほか

「特攻」とは何だったのか
森史朗×保阪正康

「本の話」編集部

『特攻とは何か』 (森史朗 著)

大西長官の思想転換

 大西についてはもう一点、彼の大変節を指摘せねばなりませんね。比島で特攻作戦を中止すべきだという意見に反し、同じ二航艦の福留(繁)中将の部隊にまで拡大し、内地に呼びもどされて軍令部次長という要職につくと、こんどは一億総特攻という戦略的な立場に大転換する。

保阪 その点が、大西瀧治郎という人物の謎ですね。大西は、鈴木貫太郎内閣の和平工作に抵抗して徹底抗戦を主張し、「日本は最終的に二千万人の特攻死を実行すべきだ」などと東郷外相に言っている。当時、毎日新聞の記者だった戸川幸夫さんが、「これで勝つんですか?」と聞いたときの答えもしばしば引用されますが、そのときも、「二千万人死ななきゃダメだ」と、答える。

 二千万人といったら国民の五人に一人ですよね。そのことはどういうことかというと、アメリカはびっくりするわけです。こんな民族いるのか? こんな戦争あるのか? と言って、向こうのほうがもうこんな戦争は「やめよう」と言うだろう、と。これが大西の最後の考えだったらしい。これは大西だけじゃないんだと思う。

 本土決戦派のそういう考え方の傲慢さと、それから、軍人の領域じゃなくて、ある意味での狂気が、やはり特攻作戦に狎れるなと言いながら、どうも最後に大西の中には出てきたのではないでしょうか。

 この話については海軍の大先輩である小沢治三郎から、「二千万人の男を殺して、だれがこの国を再建できるのか」と叱咤されるんですね。

 私もこの大西の思想転換がよくわからない。一億総玉砕、本土決戦といってももはや戦うに兵器なく、食糧も大陸からの日本海輸送ルートが機雷封鎖されて途絶している。戦争の未来展望が何もない状態なんです。ここであくまで戦争を継続すべきというのは、狂気の沙汰です。

 当時の国情からいえば、「撃(う)ちてし止まむ」ですから当然なのかもしれないけれども、この狂熱とは何だったのか。

 一つのヒントは、大西の比島脱出にあると思うんです。つまり、特攻機が皆無になって全員が山ごもりして上陸した米軍とゲリラ戦をたたかう。「最後の一兵まで比島を死守せよ」と、大西が命令を下すわけです。

 ところが、米内海相が「和平交渉を有利にみちびくためには米軍に一矢を報いることが必要だ」として、彼を内地に呼びよせる。このとき、現地に居残る司令から、われわれをおき去りにして逃げるのかというような批判を受けて、内地へ飛び立つ基地の暗がりで「そんなことで、戦(いくさ)ができるか!」と大西が司令を殴りつける。これは実際に起こった出来事で、目撃談もある。

 大西長官としては、特攻隊を出した時点から責任をとって自決する覚悟を決めていたと思いますね。その気持をどうしてわかってくれないのか、というのが本当の気持だったでしょう。

 その結果、現存部隊一万五千四百名が山ごもりし、生存者四百五十名という惨憺たるゲリラ戦となった。ですから、大西の頭のなかにはたえず彼らの存在があって、いまなおフィリピンの山中にこもって戦っている兵士たちと同様に徹底抗戦せよ、と言いつづけたのではないか。

 そこに大西中将の悲劇があり、彼がいまなお和平論者から指弾される理由になるんじゃないですか。

保阪 なるほど。それもわからないではない。ジョン・ダワーの『容赦なき戦争』という、戦時下のアメリカで行なわれた反日キャンペーンの実態を分析した本があります。日本への憎しみの構造は相当な広がりをもったことがわかります。

 また、駐日大使だったジョセフ・グルーが戦時下のアメリカを講演して歩いて、「日本というのはそんなに変な国ではない。ある意味でバランスのある国だ」と説いて歩くと、「いい日本人はみんな死んだんじゃないか。残っているのはみんな悪い日本人だ」というような反応があった、ともいわれている。

 ダワーやグルーの本を読んでいると、日本とはやっぱりそうなのかなと思う。アッツ島玉砕というのが十八年の五月にあるでしょう。あれは全員死亡ですよ。戦死ですよね。それを「玉砕」と言い換えて、美学的な領域に入っていく。

 戦時国際法で捕虜が認められているのだから、戦闘で全員が死ぬという、こんな愚かな戦略はあり得るわけがない。それを大本営で美化し、そして歌までつくり、山崎(保代)隊長を讃え尽くして、みんな玉砕する。その延長が特攻になるわけですよね。そこへ行くまで、全員戦死の場合は「肉弾」「突貫」というのがあったりして、「玉砕」という言葉で美化されて、「特攻」という言葉になるんです。順序があるような感じがするんですよ、日本の戦争には。

 それはだんだん、だんだん、正常な判断を失って単純に言えば狂気の世界、領域に入っていく。このことを戦後社会は、大西がいたからなんだ、というような形で問題のすり替えをやっているでしょう。そうではない、という指摘が、特攻に取り組む僕らの共通の基盤にあるべきだと思うんですよね。

 僕とか森さんが持っている問題意識というのは、ある意味では歴史的な問題意識だと思うんですよ。この問題意識を次代に継承できるかどうかが僕らの時代的な役割で、森さんのこの本も、『敷島隊の五人』も歴史を継承する力を持っている。だから、次の世代、三十代の人なんかにこういう本を読んでほしいという思いが、僕は常に特攻の問題に関してはあるんですよね。

 僕自身もまさしくそれを今日的なテーマ、つまり、あの時代だから、戦争中だからではなくて、その同じ歴史を我々はいま繰り返しているわけでね。それは戦争という極限の世界ではあるんですけど、でも、その行なわれていることは今日も繰り返しているんじゃないか。われわれはあの二十年八月十五日になって、すべてを全部遮断してしまっているんだけど、そうじゃないだろう、ということがあって、それはもうぜひ学んでもらいたいと思うんですよ、昭和史からね。

特攻とは何か
森史朗・著

定価:本体890円+税 発売日:2006年07月20日

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