ヒロインの春風はなにをやっても男には負けない才気煥発な女の子だ。邸の奥にひっそりとこもり、男が通ってくるのを待つだけの生活なんてとても耐えられそうもない。男たちの世界で自分の力を思う存分試してみたいという思いも心のどこかにあったのかもしれない。青年貴公子としてデビューするや、宮中の花ともてはやされ、帝の信頼もあつく、とんとん拍子に出世していく。ドキドキ、ハラハラの少女漫画的な要素もいっぱい。『とりかえばや物語』が千年のときを超えて生き続けたのは、いつの時代にも春風のような女の子に共感したり、溜飲を下げたり、自分では真似できないけど春風の活躍に拍手喝采を送りたいという読者がいっぱいいたという証しである。
春風はふとした成り行きから夏雲と関係を持ち、のぞまない妊娠をしてしまうが、そんなときも愚痴や泣きごとはいわない。夏雲のもとへ身を寄せながら、「こんな多情な男に人生はあずけられない」「人間のそこも浅い人だから、敬意も持てない」と、次の人生の一手を冷静に考えようとする。
十代のなかばでプロの漫画家になろうと決心したとき、これだけは絶対に描くまいと決めたルールがいくつかあった。状況に泣くだけの女の子、不運を他人のせいにする女の子、なにを考えているのかわからない女の子はヒロインにしない、ということ。主人公が窮地に追い込まれて物語が大きく動くとき、じっと耐えていたら、白馬に乗った王子さまが援けにきてくれるという昔ながらのシンデレラストーリーに興味が持てなかったのである。ヒロインには恋も仕事も自分の手で決着をつけてほしい。成り行き任せなんてありえない。そうでなければ、私が描く意味はないとまで思いつめていた。
それは今から五十年も前のこと。編集部のおじちゃんたちには「これじゃ可愛げがないよ、少女漫画の主人公はこのへんで泣かないと、読者が感情移入してくれないよ」とよく叱られた。駆け出しのくせに生意気だともいわれたが、そのうち読者が支持してくれるようになり、「人生を選ぶ女」を自信を持って描けるようになった。私が『とりかえばや物語』に惹かれる理由もそこにある。春風は私がこれまでに描いてきたヒロイン像とよく似ているのだ。
女が子連れで新しい人生を始めるのはむずかしいからと、子供を捨てて夏雲のもとを去る。あまりにも潔くて、ほかに方法はなかったのかと胸が痛くなるが、人は何かを手放さなければ、新しい何かは手に入らないことを原作者は知っていたのだろう。
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