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刀とは、振り回すことのできる哲学です

刀とは、振り回すことのできる哲学です

「本の話」編集部

『いっしん虎徹』 (山本兼一 著)

出典 : #本の話
ジャンル : #歴史・時代小説

鉄は、失敗が許されない

――ところで、刀の世界には一般の人にはほとんどなじみのない専門用語がたくさんあります。かといって、この分野で小説を書こうとすれば、それらの難語を避けて通るわけにはいかない。難しいチャレンジだったのではないでしょうか。

 確かに刀によほど関心がある人以外は、理解できない言葉や表現ばかりです。そもそも刀を手にとって見たことがある人なんて、極端に少ないでしょう。そこを出発点にして、どうすればこの驚くべき刀の世界を知ってもらうことができるか、ということは常に考えながら書きました。例えば互(ぐ)の目(め)とか、沸(にえ)などという言葉にしても、それを資料で読み、話を聞いて理解するだけではなくて、実際の作業を見聞きして自分の中で消化しなければ書けません。ただそれが、どこまで成功しているか……(笑)。

――文句なく成功しています。この本を読んだ人は、刀の専門家になった気分になれると思います。

 そうであれば、嬉しいですね。

――鉄の塊がなぜ、あれほど美しい刀になるのか。その一方で、鉄や火がどれほど扱いにくいものか、という事実にも驚きました。

 一番恐いのは、鉄というのは後戻りが出来ない素材であることです。失敗が許されない。どの工程で失敗しても、駄目なわけです。姿がうまくできていても、焼き入れで失敗して罅(ひび)が入ったら、もうその刀はおしまい。これは本当に恐いことです。つくづく物書きでよかったなと思いました。物書きの場合は、間違っても消せますから(笑)。

――しかもさらに、やっかいなのは成否を制御できないということですね。

 そうです。失敗しても、何が悪いのかわからない場合もあるんです。考えつく全ての条件を完全に整えたと思っても、成功するとはかぎらない。まさにコントロールが効かない世界です。どこまでも経験を積みかさねるしかない。

――そうなると、もう信じるしかないですね。

 とてつもないエネルギーが必要ですね。とことん前向きなエネルギー。それを支えるのは志の高さと矜持だと思います。だからこそ、刀に関わると、人は熱くなるのでしょう。作る側も見る側も、刀については熱く語りますね。みなさん、一家言もっているわけです。

――山本さんも?

 今では相当熱く語るようになってしまいましたね(笑)。

――この小説を書き上げてみて、虎徹という刀鍛冶は、どんな男だと感じましたか。

 虎徹の刀は残っていますが、本人の生涯は不明な部分が多い。だからこそ、作家として書きがいのある人物でした。刀を通して見た虎徹は、非常に向上心の強い人。銘をしばしば変えているのは、以前の自分を超えようとする意欲と努力のあらわれでしょう。鉄の強さ、美しさへの執着が強く、刀剣の姿の弛みは、髪の毛一本も許さない。刀のためなら、どんな努力も惜しまない人だったのでしょう。必要とあらば積極的にアピールもする。逆に刀以外の価値観を持っていないともいえますが。

――まさに、命を賭けて刀を鍛え続けていたのですね。

 刀にはそれだけの力があるのだと思います。私が初めて自分の手で真剣を握った時に思ったのは、刀は哲学そのものだということ。手に握って振り回すことのできる哲学。つまり、生死のギリギリを考える道具だということです。生きるか、死ぬか。武士は、実際に振り回す前に刀を見つめて、自分はどう生きるべきか、死ぬべきかと考えざるを得なかったはずです。だからそれを作る人間も、前向きさと同時に、厳しい冷徹さを湛えていたのだと思います。

――今後挑戦してみたい分野、あるいは人物はいますか。

 頭の中に想定している人物は何人かいるので、ぼちぼち手をつけていきたいと思います。大きなテーマとしては、「日本人とは何か」ということですね。すぐに答えが見つけられるような問いではありませんが、その問いかけに少しでも答えられるような作品を書き続けていきたい。

いっしん虎徹
山本兼一・著

定価:本体710円+税 発売日:2009年10月09日

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