――同じ女性でも、「蜜」では、妙齢の既婚女性の内面が綴られています。少々不謹慎な妄想も吐露されていますね。
青来 爆心地の周辺も今では都市化されていますから、当然、インターネットの出逢い系サイトをやっているような女性も住んでいると思います。六十年前には焦土と化した歴史があり、さらに遡ればカトリックの殉教があった一種の聖地とも言える場所にも、時が流れて人々の日常の生活がよみがえる。そんな土地で暮らしている中で、人々は何を考え、どう生きているのか。彼らの意識に過去はどんなふうに反映してくるのか。「虫」とは正反対の現在の若い女性の日常とその意識を描いてみたいと思いました。
――年齢や性別という点では、六篇の中で最も青来さんに近いのが「貝」の主人公です。逆に難しさはありましたか。
青来 この時点では、すでに自分にとって全く別の人物を創作するという意識で書いていました。一作一作、違う人物を描いてきたなかで、この作品ではたまたま男性で、年齢が自分に近い主人公の設定になっただけです。
――現実にあり得ない場所に潮が満ちるという発想は?
青来 なにがきっかけなのか、いつからなのかは覚えていませんが、夜になったら潮が満ちてくるというイメージは以前から漠然と頭にこびりついていました。枕元に海の水が来て、電線に海草が引っかかっているというような光景は面白いだろうな、といった感じなのですが。現実と幻想の境界をあいまいにして、それがふっとあきらかになる瞬間のドラマを、ひとつの物語にした作品です。
――最後の作品「鳥」ではテーマ性が色濃く出ていますね。
青来 主人公自身が文章を書き、その内面を自ら言葉で表現している部分を主人公のモノローグの部分と交互にさしこむことで、同じ一人称の語りでも少し違うものができたかなとは思っています。偶然にしてはあまりにもできすぎた主人公の出生の設定なのですが、それほど違和感もなく、ごく自然に読んでいただけるのではないでしょうか。自分でも六作の中で最も心地よく作品を書き進めることができました。これまでの五篇でやってきたことの蓄積が生きたと感じています。
――被爆後六十年が過ぎ、原爆の記憶が時と共に風化していく恐れは否めません。今後は長崎と原爆というテーマをどのように掘り下げていこうと考えていますか。
青来 長崎で生きる人間としては、当然、被爆の悲惨な経験を忘れてはいけないという思いはあります。しかし、強い政治的なメッセージ性をもって、核兵器廃絶などというスローガンを書こうというふうにはやはり考えていません。被爆から六十年以上過ぎた土地で日常の生活を生きる人々の内面に、風化していく記憶が再びよみがえる瞬間を物語にして作品をつくっていきたいと思います。これから十年後、二十年後はそこで暮らす人間が何を考えて生きているのか、それを定点観測的に見つめていきたいとも考えています。
「原爆」をテーマにしただけで、原爆文学ということで、どうしてもある一定の先入観やイメージがついてきてしまう側面があるかとは思いますが、それをなんとか突き破りたいなとは常に思っています。六十年が過ぎた後の原爆文学とはどういうものか。新しい原爆文学を書く意識で作品を書いていきたいと思います。
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