朝青龍はまだ大横綱ではない
小林 外国人力士が増えた近年の土俵について、私は「野球のメジャーリーグのように、大相撲は相撲界のメジャーリーグであることを教えられた。国籍を問わず実力を認める番付は国際化の鑑(かがみ)である」と本書で記しました。半面、朝青龍問題、露鵬の暴行事件などの不祥事も起こった。杉山さんが外国人力士の教育を各部屋任せにせず、協会が取り組むべき時期に来ている、と提言されたのには共感しました。
杉山 大相撲という日本が誇る国技、この宝がいつまでも続いて欲しい──愛するゆえにこそ、相撲界が取り組まなければならない課題である、と私は伝えたかったわけです。
小林 本書での杉山さんの言葉には強い説得力がある。やはり、五十五年間、去る三月場所で延べ三百二十二場所、現場で取材してこられた蓄積が生み出したものでしょうね。
杉山 当たり前ですが、アナウンサー時代は本場所中は、ほとんど現場にいました。現在は日本福祉大学での講義もあり、皆勤とはいきませんが、それでも年六場所九十日のうち八十日以上は現場で見ています。
小林 これほど長く継続して大相撲を取材している方は現在、杉山さんをおいて他にいないでしょう。大相撲が年六場所制となったのは昭和三十三年からですが、横綱同士による千秋楽相星決戦もすべて現場でご覧になってきた。朝青龍が出場停止から復帰した一月場所と三月場所は、二場所連続、横綱同士の千秋楽相星決戦でした。杉山さんは「一月場所は大相撲の醍醐味を改めて教えられた……と昂揚する気持ちになった」と書かれましたね。
杉山 「気持ちの強い方が勝ちます」と、事前に取材を受けた折、私は答えました。朝青龍も白鵬もお互い、尋常ではないプレッシャーを感じていたはず。その答えが四十七秒という、あの熱戦に表れましたね。
小林 三月場所は三秒七の相撲で、朝青龍が四場所ぶりに優勝しましたが、杉山さんは「心情的に重くなるシーンを目の当たりにして溜め息すら出た」と書かれた。
杉山 花道を引き揚げる朝青龍が凱旋将軍のように、笑顔でお客さんに手を振る姿に愕然としました。嬉しい気持ちはわかる。でも、大相撲の魅力が「抑制の美学」にあることを横綱が忘れては困る。勝ち力士は負け力士の胸中も察し、嬉しくとも感情をパフォーマンスで示してはいけない……私は土俵という勝負の時空間から、それを教えられてきた。だからこその苦言です。
小林 朝青龍の優勝回数は通算二十二回となり、貴乃花に並んだものの、マスメディアやファンは、大横綱扱いしません。
杉山 私は、現時点で、朝青龍を大横綱、と呼ぶのには反対です。優勝回数が多いから大横綱だ、というものではないと考えるからです。品格の向上も含めて己を磨き、後世に語り継がれる時代を築いた横綱こそ大横綱だ、と。栃錦、若乃花、大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花が大横綱に該当する、と私は本書で記しました。残念ながら、朝青龍を彼らと同じ土俵で議論することは、したくありませんね。
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