アナウンサー志望者にも読んでもらいたい
小林 「相撲の杉山」と呼ばれてきた杉山さんですが、実はプロ野球、高校野球、五輪などプロ、アマ問わず多くのスポーツの中継に携わってきたことを、多くの方は本書で初めて知るでしょうね。
杉山 NHKに入局以来、大相撲中継には一貫して携わりましたが、在職時は名古屋放送局を振り出しに福岡、東京、大阪に転勤になりました。入局二年目に、中日ドラゴンズ初優勝と中京商業の夏の甲子園優勝を現場で中継できたのは幸せでしたね。中日初優勝では天知俊一監督、杉下茂選手らの優勝インタビューをダグアウト前で行いました。
小林 昭和三十二年の夏に福岡に異動されたのは、十一月から始まる九州場所の中継の諸準備を任されたからでしたね。杉山さんの福岡勤務時代は丁度、三原脩監督率いる西鉄ライオンズの全盛期に当たっていました。
杉山 西鉄の試合はラジオで幾度も実況しました。最初の中継は忘れられません。名古屋から夜行列車に乗り、朝、博多駅に到着、その足で福岡放送局に出勤すると、「今夜のナイター、実況頼むよ」と上司が言ったのですから(笑)。
小林 今の時代なら考えられませんね(笑)。昭和三十五年に東京に転勤になると、三原監督も大洋ホエールズの監督になった。しかも、一年目で初の日本一を達成し、その中継にも杉山さんが携わっていたのには驚きます。そして、東京五輪では、マラソンやボクシング、フィールドホッケーなど多くの種目の中継を担当された。
杉山 昭和四十三年、メキシコ五輪のレスリングの中継も忘れられません。モンゴル史上初のメダリスト誕生の瞬間をお伝えしましたが、この選手が現在の横綱・白鵬のお父さんだった。つくづく人生における縁の不思議さを感じますよ。
小林 小倉での少年時代、ラジオの大相撲中継に夢中になり、「大きくなったら、スポーツアナウンサーになるんだ」と立てた志と情熱がすべてを動かしてきたのですね。とはいえ、アナウンサーになるため、ジャーナリストを多数輩出していた早稲田大学に進学したものの、学内の「放送研究会」に入部を断られた逸話には驚きました。
杉山 「九州弁の訛(なま)りがある。声が通りにくいから」との理由でした。断られた直後は挫折感で一杯だった。「何のために上京したのだろうか」と……。
小林 丁度その頃、浜町の仮設国技館で、初めて大相撲をご覧になったのでしたね。
杉山 二階席の一番安い券を買って観戦していましたが、一階に下りて行き、放送席に近づいてみた。実況の様子が耳に入ってきました。「自分もいつかはここで……」と気持ちを新たにし、それからは、標準語の習得に懸命でした。通学手段だった都電の中ではアクセント辞典を開いて小声で呟いたり、耳に入ってくる車内の会話から標準語の使い方やアクセントを勉強しました。
小林 そして、三年時には学内に「アナウンス研究会」を立ち上げ、積極的に活動された。各界に多くの人材を輩出してきた研究会の卒業第一号が杉山さんだったのですね。本書で杉山さんは、実況とは何か、準備や取材とはいかなるものか、についても言及されています。現役のアナウンサーや、それを目指す人々に必読の書かもしれませんね。
杉山 私なりにスポーツ中継の何たるかを考えてきただけに、最近のアナウンサーが「絶叫型」になり、感情を前面に出していることには危惧を覚えます。時代が違う、と言われればそれまでですが、私としてはそのあたりについて、老婆心ながら、紙幅を割かないわけにはいきませんでした。
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