書評

女性たちのさまざまな『雛形』を描いた、今、最も『読ませる』時代小説シリーズ

文: 大矢 博子 (書評家)

『山吹の炎 更紗屋おりん雛形帖』 (篠綾子 著)

 井原西鶴の『好色五人女』で一躍有名になった八百屋お七。天和の大火で避難した寺で、吉三という見目麗しい小姓に出会って恋に落ちたお七は、火事になればもう一度会えるとばかりに放火の罪を犯し、火あぶりになる――というのが最も有名なストーリーだろう。浄瑠璃では、火付けではなく半鐘を鳴らすだけ(これも重大な御法度である)というパターンもある。こちらは吉三会いたしではなく、吉三の危機を救うための行為として描かれる。

 しかし実は、その大部分が創作なのだそうだ。実際には歌学者の戸田茂睡が記した「御当代記」が唯一の歴史史料で、そこには「駒込のお七付火之事、此三月之事にて二十日時分よりさらされし也」と書かれているだけだという。事件の経緯も動機も、お七が八百屋なのかも何歳なのかも、はっきりと断言はできないのだ。なお、余談だが、戸田茂睡に興味のある方は篠綾子『梨の花咲く 代筆屋おいち』(ハルキ文庫)をお読みあれ。

 閑話休題。そのお七の一件を篠綾子は本書に取り入れて、大胆な物語を作り上げた。八百屋お七のエピソードを知る読者は多いだろう。結果、どうなるか。読者はこのお七がこれから何をするか、先に知っているということになる。お七がおりんに告げる「恋」についての考え方の背後に何があるか、その思いがのちにどんな形で迸るか、読者は知っていて彼女の言葉を読む。彼女の行動を読む。それが切なさを倍加させる。お七の健気な、けれど必死な幼い恋の行き先に、読者はただ胸を塞がれ、固唾を飲むことだろう。

 巷間伝えられているお七の物語をそのまま写したのではないことに注目。お七はなぜ付け火をしたのか、篠綾子オリジナルのそこが最大の読みどころだ。その動機におりんと越後屋が絡んでくる。お七がおりんの、越後屋がお七の、それぞれの運命を変える。こうくるか、と唸った。

 歴史とは、年表に載っていることがすべてではない。そこには人の思いがあり、その思いが絡み合うのだ。放火という言葉はひとつでも、その裏に何があったのか、そこにどんな思いがあったのか、それが関係者ひとりひとりをどう変えたのか、そんな年表の背後にある心の行き来を、篠綾子は細やかにすくい上げる。すくい上げて縒り合わせて編み上げて、史実とフィクションを分かちがたいひとつの物語にする。これが篠綾子の歴史小説なのだ。

 

 第三作『紅い風車』の解説で岩井三四二さんが、各巻タイトルの解題をなさっている。墨染の桜とは何のメタファなのか。風車は何を意味するか。『黄蝶の橋』を解説者の葉室麟さんがどう捉えたか。

 それに倣って『山吹の炎』の「炎」が何を象徴しているかを考えるなら――明らかに、恋だ。本シリーズには最初から恋愛模様が登場していた。清閑寺家の熙子様の悲恋に始まり、おりんと末続と蓮次の三角関係は読者も気になって仕方ないところだろう。

 慕い合うおりんと蓮次。けれどおりんも蓮次も、末続がおりんの夫となって一緒に更紗屋を営みたいと願っていることを知っている。浪人の蓮次では、商家の旦那が務まらないこともわかっている。恋か、家か。三人が抑えてきた思いが、あるいは見ないようにしていた現実が、お七と吉三郎の炎であぶりだされるように、彼らの目の前に突きつけられる。

 火事の炎は、越後屋も、善次郎の店も、紀兵衛の職場も、焼いた。焼け出された子どもには深い傷が残った。恋の炎も燃え方次第では人を傷つける。我が身を傷つける。それを描くためにも、本書は八百屋お七の話でなければならなかったのだ。

 さらに本書の終盤には、おりんと固い友情で結ばれた熙子の悲恋もこの三角関係に関わってきそうな気配まであり、いよいよ目が離せなくなってきた。

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山吹の炎 更紗屋おりん雛形帖
篠綾子・著

定価:本体670円+税 発売日:2016年02月10日

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