- 2016.09.10
- 書評
誠実な恋人か官能的な元彼か──「自分の心に嘘をつくな」という真実の愛へのエール
文:ブルボンヌ (女装パフォーマー/エッセイスト)
『ありふれた愛じゃない』 (村山由佳 著)
アタシだって、生まれ育った日本が大好きだ。でも、五人組や隣組制度の歴史にも象徴される、異端を抑制し、いざとなれば罰することで「自分は正しい多数派だ」と安心する性質は、異端に生まれた以上、受け入れがたい。対し、なぜか南国にはいい意味のユルさがあることも多い。宗教などが絡むと話は別だが、タイや沖縄の、時間や生き様へのユルさは、とくにリゾートで楽しむ分には本当に心地よく感じられるのだ。タヒチには行ったことはないが、日本では社会不適合者扱いだった竜介も、日本でもうまくやっていける器用さを持つ真奈でさえ、その大きな懐にゴーギャンよろしく誘われている。
オネエ目線でいえば、常識と衝動の間で歪んでしまった女たちも愛おしい。渡辺広美なんて、序盤の意地悪お局っぷりとその後の感情爆発、そして真奈と打ち解ける流れが素晴らしく、麻生祐未さんあたりが実写版を演じる様子を思い浮かべてニヤニヤしてしまった。彼女のあだ名・ドロンジョといえば、美しくセクシーでタイプ違いの男二人を従えるコミカルな悪女。何度チャレンジに失敗してもへこたれない姿勢も含め、幼少の頃から大好きなキャラクターだ。ヤッターマン2号も悪い娘じゃないだろうけど、その後の渡辺広美を含め、もっと日本に良い意味のドロンジョが増えてほしいと本気で願っている。
子犬のような年下の男を捨てて、タヒチに行ってしまった真奈を、そうならざるを得なかった美しいストーリーを伝えてもなお、所詮はルール破りの悪女ととらえる人もいるだろう。常識、とは恐ろしい言葉なのだ。アタシは、真奈の心が決まる終盤、ジョジョとのバーで流れる曲の描写に、不意をつかれた。シャーデーの「ノー・オーディナリー・ラブ」、普通じゃない愛! 自分が同性愛者であるということに向き合いながら、大学生の頃に死ぬほど聴いていた曲なのだ。そこいらの日本人の誰よりも常識的だったはずの真奈ですら、恋愛においては普通じゃなくなった。普通でなくなることは、多数派に属することでの安心を失い、誰かの非難や拒絶に恐れることの始まりでもある。でも、だからこそ、枠の外の世界のカタチに気づき、枠内にすがるしかない人を憐れむ心も持てる。
性的少数者のシンボルはレインボーカラーだ。一色ではない多様な人々の形を意味している。便宜上、それは六色で描かれているが、本当は永遠に中間色を探し続けることができるグラデーションのはずだ。つい日本の「常識」のイヤなところを書き連ねてしまったが、鼠色に百種類以上の違いを見つけられた懐の深い文化だって持ち合わせている国だった。アタシもユルい南国は大好きだけど、ここで精一杯、「虹を歩む」覚悟を持とうと改めて思う。
社会を、男を、受け入れる側の女たちは、これからも時に、その横暴さに涙し苦しむかもしれない。でもそんな時は、この本の最初のページをもう一度開いてみて。
真珠の輝きは、貝の苦しみから生まれるんだよ。