2004.04.20 書評

〈特集〉「坂の上の雲」
日清・日露戦争寸感

文: 中村 彰彦

『坂の上の雲』 (司馬遼太郎 著)

〈特集〉「坂の上の雲」
〈インタビュー〉10分でわかる日露戦争 半藤一利
・日清・日露戦争寸感 中村彰彦
ワイパーの向こうの司馬さん 吉田直哉

中村彰彦
1949年、栃木県生まれ。東北大学文学部卒。出版社勤務を経て文筆活動に専念。94年、
『二つの山河』で第111回直木賞受賞。『遊撃隊始末』『新選組全史』『海将伝』『白虎隊』『新選組紀行』など著書多数。

『坂の上の雲 一』 (司馬遼太郎 著)

「降る雪や明治は遠くなりにけり」

 日露戦争勃発の三年前に生まれた中村草田男のこの秀句には、過ぎ去りし時代への郷愁が姿良く表出されている。

 明治の「人と時代」を慈しんだことでは司馬遼太郎さんもおなじだが、司馬さんの場合は、その愛惜の情が軍部の暴走した次なる時代への嫌悪感につながった。この感覚は、よく知られていることだが、司馬さんに左のような疑念を抱かせた。

 ――日清・日露戦争のころの日本人は、健全であった。しかるにその後日本人はどこかでねじ曲がり、亡国の大戦争に突入した。どこで日本人は変わってしまったのか。

『坂の上の雲』を読んだころ、私はこのような立論の仕方になるほどと思い、自分なりにこの問題を考えてみようとしたものだった。

 しかし、筆一本の暮らしに入って十三年目の今では、そのようには発想しなくなった。明治への郷愁は、つまるところ明治維新の大変革をある程度評価した時に胚胎する。私は幕末維新史を学ぶうち、維新の勝ち組の胡散(うさん)臭さが気になりはじめたので、見る目が変わってしまったのだ。

 たとえば以下に列記する見解は、各種の史料によってかなり論証の可能なことどもである。

▽勝海舟が日本の海軍を育てたというのは、海舟の大ボラから生まれた話でしかない。

▽幕末の賢侯のひとりといわれる松平春嶽(福井藩主)は、尊王攘夷派に憎まれそうな役目を松平容保(かたもり、会津藩主)に押しつけてばかりいた卑怯者である。

▽坂本龍馬は梅毒を病んでいたから、もしも暗殺されていなかったら大変な姿になっていた可能性がある。

▽慶応二年(一八六六)十二月に三十六歳の若さで崩御した孝明天皇の死因は、天然痘ではなく砒素による毒殺であろう。毒を盛った黒幕は、岩倉具視。

▽同三年、幕府の遣米使節団に翻訳係として同行した福沢諭吉は、和文英訳などとても出来なかった。その上、公用金一万三千ドルを使いこんだのだから、幕府が大政奉還をおこなわなかったら厳罰に処されるのは免れないところだった。

▽薩長両藩に与えられた討幕の密勅なるものは、実は岩倉具視が玉松操に書かせた偽文書である。

▽奇兵隊は隊士たちの身分を問わない近代的軍隊だったといわれるが、その実、身分差別と給料のピンはねが日常的におこなわれる前近代的な集団であった。

 以上のようなことがわかってくると、どうも明治維新を絶賛称揚する気にはなれなくなるのだ。

【次ページ】古武士然とした軍人たち

坂の上の雲 一
司馬遼太郎・著

定価:本体1,600円+税 発売日:2004年04月12日

詳しい内容はこちら  特設サイトはこちら



こちらもおすすめ
インタビューほか〈特集〉「坂の上の雲」 10分でわかる日露戦争 半藤一利(作家)(2004.04.20)
書評〈特集〉「坂の上の雲」 ワイパーの向こうの司馬さん(2004.04.20)
特設サイト司馬遼太郎 『坂の上の雲』(2009.12.06)
特設サイト司馬遼太郎「司馬遼太郎を読む」(2013.09.02)
書評『坂の上の雲』の「あとがき」に見る司馬遼太郎の名言(2011.09.20)