大村 直木賞をとる前は「小説新潮」からは依頼がいかないから、桃園書房の「小説倶楽部」なんかが声をかけていた。今回の「食べ物日記」に「小説クラブ、松竹(中略)など来訪」とありますが、この松竹 巽(まつたけたつみ)氏は、三十年代の池波さんとしょっちゅう付き合っているわけですよ。その頃は、われわれの付き合った頃の池波さんじゃなくて、苦闘時代でしょう。苦しかったんじゃないかなあ。写真を見ても、表情が違う。
直木賞をもらってからは「講談倶楽部」で現代ものの娼婦小説シリーズをやったりしていた。後に『娼婦の眼』として本になりましたが。
川野 私が昭和四十二年に池波さんの担当になって、二つ目にもらった原稿が「あほうがらす」という作品なんです。後で気づいたんですけど、『娼婦の眼』の中に「昼と夜」という短篇があるんですが、「あほうがらす」は現代ものの「昼と夜」を換骨奪胎されて作られた時代小説なんですよ。それなのに二つの作品から受ける印象は全く違う。この二つを比べると、池波さんの小説が大きく変化していった様子が分かる。
大村 真田もので直木賞をとりますよね。武家ものはどうしても文体が硬くなる。それが昭和三十年代の後半になると、私の好きな江戸の市井ものの短篇で、「おせん」(「小説現代」昭和三十九年七月号)なんていう、悪女が出てくる作品がありますよ。
ところで、川野さんにお伺いしたいと思っていたことがあるんです。
川野 はい。
大村 昭和三十九年に「週刊新潮」で『忍者丹波大介』という作品を連載していたでしょう。その頃、司馬さんの『梟の城』とか、村山知義の『忍びの者』とか、ちょっとした忍者ブームだった。いよいよ池波さんも手をつけたか、と楽しみに読み始めたら、僅か十四回で終わってしまった。
川野 当時の斎藤十一編集長から駄目が出て。後年書き加えて、単行本にはなったんです。