剛志 われわれは普段、顔とか性差など、人間にとって本来最も重要な情報に極力触れないようにしています。そうすることが近代的な価値観とされているからです。
では、そういう“配慮”を取り払ってしまうと、われわれが生きている世界はどんな姿で立ち現れてくるのか。われわれは近代的価値観のもとで思考停止に陥っているけれども、今回はそんな呪縛を解いて話し合ってみたいと思います。
まずは適菜さんご指摘の「外見こそ情報のかたまりである」というテーマから始めてみましょうか。
適菜 私はオカルトや擬似科学には否定的ですが、科学的に信憑性が高いにもかかわらず近代の学問の世界から排除された思考に興味があるんです。その中に人相学や観相学といったものもある。『観相学』はアリストテレス名義の著作となっていますが、ペリパトス派(逍遥学派)の作品と見られているようです。ヒポクラテスもプラトンも人相の研究をやっています。スイスのヨハン・カスパー・ラヴァーター(一七四一~一八〇一)は『観相学断片』で観相学の文献をまとめ、ドイツのエルンスト・クレッチマー(一八八八~一九六四)は脳科学と人相について論じています。人相学は根拠のある学問です。
でも今の世の中では、人相に言及するとオカルト扱いされますよね。政治家の顔について論じると、ネットで「じゃあ、お前の顔はどうなんだ」という反発がくる。要するに、単なる悪口としか受取られないわけですね。
剛志 人間を顔で判断してはいけないという発想こそ、近代の迷妄のひとつだと思います。時代劇でも悪役は悪相をしているのがお定まりですから。
適菜 少年マンガでも悪役はたいてい悪そうな顔をしている。これは現実の社会で悪人が実際に悪そうな顔をしているから成り立つわけです。わざわざ読者に説明しなくても、こいつが悪い奴なんだなとすぐにわかる。
信子 観相学についての議論はありますが、「左翼はみな丸メガネをかける」というのもありますね。大江健三郎、坂本龍一、井上ひさしもなぜか丸メガネでした。まあ、これは「観相」ではなく、好みのファッションの問題ですが。
適菜 そもそも本書の企画、そのあたりの話から始まったんですよね。銀座のビストロで剛志さんと信子さんと飲んでいて、左翼の風貌は独特だよねと。丸メガネだと典型的なのがジョン・レノン。久野収もそう。
剛志 なぜ左翼にはハゲが少ないのかとか、若いころポストモダンだった学者が六十近くになってもジーンズを穿いているのはなぜだろうとか、岩波の『世界』の表紙を飾っている女性は、どうしてみんな化粧っ気がなくて一重まぶたなんだろうとか。
適菜 左翼の大学教授もなんともいえない風貌ですよね。ジーンズと左翼はやはりどこかでつながっている。もともとジーンズは肉体労働者の作業着でしょう。政治家も震災が発生するとむやみに作業着を着たがりますが、あのアピールは気持ちが悪い。
信子 そういうのは冗談みたいに受け取られがちですけど、私は意外に大事なことが含まれている可能性が捨てきれないと思うんです。
左翼はともかく、なぜか右翼は美人が多いんですよ。この違いはおそらく、発達段階で自分が生まれ持ったものを肯定されて育ってきたか、否定されて育ってきたかの違いに起因するのではないか。生まれ持ったものに対して周囲からネガティブな反応を受け続けてきた人は、スタート地点にあったものを否定して、人間の知性を重視する思考や、平等主義的な考えをより親和的に感じるのではないでしょうか。そして、左翼的なアプローチの発想を持つようになる、と考えるのはそう不自然ではない。