このシリーズ七冊目の中で私がことに心して読んだのは、最終章の「出会い、再会、そして別れ」に出てくるドンさんとのエピソードだ。
アメリカ兵だった当時十八歳のドンさんは一九四五年、硫黄島で日本兵と戦った。日本軍は一ヶ月後の三月十七日に玉砕。アメリカ側も七千人近くの戦死者を出したという。九死に一生を得た彼が五十五年の歳月を経て初めて言葉を交わしたかつての敵日本人が、光世さんだ。お互いを見つめあいながら静かに流れるその時間と空気感。封印していた当時の苦しみを絞り出すように語るドンさんと、小さな体と大きな心で聴く著者。ふたりがお互いを大切な友と感じあい、交わした「大切な約束」。行間から、著者の涙ながらの深い思いがヒシヒシと伝わってくる。日本人のひとりとして、私は光世さんに言いたい。「心より、ありがとう……」
最近の日本の若い世代の中には、C・イーストウッド監督、渡辺謙、二宮和也らが出演し数々の受賞歴もある映画『硫黄島からの手紙』が話題になるまで、かつて日本がアメリカと戦ったこと、敗戦のあと日本人が暗闇と混乱の中から立ち上がり、努力して築き発展させ、今日のこの国の姿が在ることを知らない人が少なからずいると聞き驚いた。
ひとりでも多くの若者に、特にこの章を一読してもらいたいと切に願う。
さて、私自身もニューヨークとはかなり縁がある。初めてプロペラ機でニューヨークの空港に降り立ったのは、まだ一ドルが三百六十円の一九五九年。中学三年生、十四歳だった。その夏、母が出席する国際会議にお供して様々な異文化にふれた私は、将来の自分のためにアメリカ人をもっと知りたいと強く思い、英語力は小学二年生程度だったがチャンスを活かし、ニューヨーク郊外で八ヶ月間ホームステイを決行した。当時世界一の超高層建物、エンパイア・ステート・ビルの展望台から五番街を見ると、あんな高いところからでも前後がツンと長~いアメ車の列の中に、まるでマッチ箱のような小っちゃ~い日本車を見つけ、嬉しさと落胆の複雑な気持ちだったことが忘れられない。昨今一ドルが百円前後、ニューヨークのイエローキャブがほぼ日本車だなんて、あの頃誰が想像しただろうか。
母が私を産んだのは四十八歳のとき。父は五十三歳だった。日本人の平均寿命が五十歳前後の時代。いつ自分たちがこの世を去ってもひとまずは自活できるように育てようと、勇気と決意を持って両親は子離れを心がけ、早くから愛娘に自立を促した。“自分の頭で考え、踏ん張り、心で感じることのできる人間に”と導かれた私が、高校卒業後アメリカ留学を経て国際間のショービジネス・コーディネーターとなって活躍できたのは、好奇心が旺盛で人間を怖がらないからかもしれない。どんな人種、地位にあろうと人間は皆赤い血が流れ、本質は同じであると信じている。そんなところは、光世さんと同じ回路で思考、行動しているのかなぁと思う。
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