福島第一原発事故からはや5年である。
私たちがいま、こうやって平和に暮らしているのも、あの事故が何とかあそこで止まってくれたからである。運に恵まれた点もあったのだろうが、事故対応に当たった関係者の必死の努力のおかげである。
しかし、いまもなお10万6000人の住民が、避難生活を余儀なくされているのは、3つもの原子炉がメルトダウンを起こし、環境を汚染したからにほかならない。
この事故は東京電力が当初、主張したように不可抗力の天災ではなく当事者たちの備え(予防、準備、対応)が不十分だったことから起こった人災であった。津波対策にしても過酷事故対応にしても事前にきちんと手を打っていれば防ぐことができた。
事故の検証を行い、原発安全規制の問題点を洗い出し、教訓を学び、原発の安全文化を深め、規制体制を刷新し、出直すことを日本は誓った。
しかし、どのように教訓を学んだのか、どこまで安全文化を深めたのか、いざというときの対応体制はどうなのか、テロに対するセキュリティーはどうなのか、サイバー攻撃に対する守りは大丈夫か、となるといまなお不十分である。
「目に見える備え」は随分、整ったと感じる。しかし、「住民避難計画」はどうなのか。患者をたらい回しにし、何人もの犠牲者を出した病院は、どんな患者避難計画に改めたのか。万が一再び過酷事故、さらにはチャイナ・シンドロームが起こり、作業員全員、敷地現場から撤退となった場合、誰が最後まで命がけで対応策に当たるのか。再び、一国の首相が未明に電力会社の本店に乗り込み、「逃げるな」「命をかけて踏みとどまれ」と叫ぶのか。それとも政府の「緊急対応部隊」の出番となるのか。
それよりもさらに難しい「目に見えない備え」はどうなのか。福島原発事故の時、どたばたとつくらざるを得なかった「最悪のシナリオ」はできているのか。危機の時、決定的に重要なリーダーシップの役割について私たちは認識を深めただろうか。
そもそも事故原因の検証にしても、まだまだ空白のところがある。
たしかに検証に関しては、政府事故調、国会事故調、民間事故調がそれぞれ調査委員会を設置し、膨大な証言とさまざまな角度からの背景・構造分析を行った。なかでも、政府事故調が延べ29時間にわたって行った吉田昌郎福島第一原子力発電所所長の聴取記録がその後、発表されたことは大きかった。
それでも、炉そのもの、メルトダウンそのものがどういう状況と過程だったのか、の検証はなおできていない。事故対応も、政府と東電のそれについてはかなりの程度、調査が進んだが、福島県の当時の対応についての検証はほとんど手つかずのままである。
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