一般に文章より話す方が軽く見られる傾向があるが、身近に接していると、講演に臨む講師の心構えが並大抵のものではないことがよくわかる。作家にとって講演が、執筆活動とまったく違うことは、直接、読者の前に身をさらさなければならないことである。これは視覚的に姿形を見られるだけではなく、人間性そのものも見られてしまう場合があるということだ。講師と聴衆が互いに心の交流があったと感じられれば、それが最上の講演会なのである。
本書では、吉村昭さんが「小説家というのは、知られたくないこともあからさまに言わなくちゃいけない」と述べている通り、多くの方々が、自分が感じていることや実体験を正直に披瀝している。
松本清張さんは、みっともない顔といわれ、貧しく育ち、成功してからも孤独だったと考えられる菊池寛になぞらえて自らを率直に語り、宮尾登美子さんは、饅頭ひとつのために子供を売ろうとまで思いつめた満州での辛い生活をあかして、作家になろうとした動機を話している。城山三郎さんは浜口雄幸の覚悟から人間の信念を説き、平岩弓枝さんは、いかに自分が無知であったかを告白して、師・長谷川伸の恩に感謝を捧げている。映画の脚本の修業をしたことがある藤本義一さんは、その経験から子供の教育に話を及ぼす。そして司馬遼太郎さんは日本の軍部の愚行を例にあげ、組織や人間は四十年で電池が切れると警告している。
どの話にも、その作家の歩んできた決して平坦ではない道のりが投影されている。平易な話し言葉の中に、思想や人生の真実が凝縮されていて、長篇小説にも劣らない深い内容が含まれているのだ。
活字になっていても、作家の肉声と会場の雰囲気が伝わってくるような気がする。多くの聴衆が心を搏(う)たれたであろうことが、容易に想像できるからだ。数ある名講演の中から選び抜かれた本書は、文藝講演会の貴重な記録といっていい。
一篇一篇すべてに、先行き不透明な現代をよりよく生きるためのヒントが、数多くちりばめられているのである。
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