- 2016.03.20
- 書評
ケンカの達人にケンカを挑む――キリスト教と動物行動学、どっちが役立つ?!
文:竹内 久美子
『佐藤優さん、神は本当に存在するのですか? 宗教と科学のガチンコ対談』 (竹内久美子・佐藤優 著)
ジャンル :
#ノンフィクション
佐藤優さんほどの知性の持ち主が、どうして神の存在を信ずることができるのだろう? この対談のそもそものきっかけである。
佐藤さんは大学と大学院で神学を学び、研究された。今でも神学についての著作活動と共に、国際情勢の解析など極めて現実的な問題にも取り組んでいる。この方の頭の中はどうなっているのだろうかというわけである。
片や私が専門とする動物行動学の分野では、『利己的な遺伝子』で名高い、イギリスのリチャード・ドーキンスが『神は妄想である』(早川書房、垂水雄二訳)で激しい宗教批判を展開し、欧米で大変な反響を呼んだ。そこでこの本を中心とし、各々あらかじめ読んでおいてほしい本を数冊指定し、予備知識を得てから対談をスタートさせることになった。
とはいうものの私はキリスト教についての知識がほとんどない。それどころか宗教に対し、苦手意識を持っているし、胡散臭ささえ感じていた。ここは一つ相手を知るべしと、佐藤さんからの指定にはなかったが、新約聖書だけは読んでおこうとした。幸い、佐藤さんが文春新書の『新約聖書I、II』(新共同訳)を解説しておられるのでこれを読んだ。新共同訳とは、日本のプロテスタント教会とカトリック教会が1978年に初めて共同で訳したことからきている。初耳だった。
読み進めるうちにどうにもひっかかったのは、「隣人を自分を愛するように愛せ」という言葉だった。イエスの教えのなかで最も重要なものの一つとして、何度も登場する。
「自分を愛するように愛す」というのは、他者のために多大な自己犠牲を払うという意味だろう。実は動物行動学の分野にはこれと酷似した、「利他行動」という大変重要な概念がある。
自分の命と引き換えに、あるいは自分の繁殖の機会を犠牲にしてまで他者を利する行動という意味だ。
ただ、そこまで大きな自己犠牲を払うとなると、相手がまったくの他人であっては意味がない。結局は非常に近い血縁者でないと利他行動は起こり得ないという結論に至るのだ。
このあたりの事情をキリスト教はどう処理しているのか。隣人とはいえ、ただの隣人であろうはずはなく、実際にはどんな範囲を想定しているのだろう。宗教が広まるにつれ、隣人の範囲も変わっていくはずだが、その件についてはどうなっているのか。
ともあれ、聖書を読むと隣人の問題だけでなく素朴な疑問点が次から次へと湧き起こって来る。これらすべてを書きとめたうえで私は、対談に臨んだのだった。
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