時は流れ、安部が第百四十八回直木賞受賞作となった『等伯』の単行本を刊行した時、五十七歳になっていた。デビューから四半世紀近くも、彼は「日本の小説」という風土の中で、暗中模索し続けてきたのである。五十七歳の安部は、文学と日本の袋小路を完膚無きまでに突き破った。そして、三十八歳で死んだ太宰の果たし得なかった突破を成し遂げた。本当に、安部は突き抜けたのである。
等伯と安部だけでなく、安部が敬愛した先人、そして安部文学の読者も、皆が手を繋ぎ合って、巨大な閉塞感を打ち破ったという歓喜を『等伯』の読者は感じる。なぜならば、読者もまた絶望のどん底まで落ちた実感を、たっぷりと共有したからである。この壁が突き抜けられるとは、正直なところ、その直前まで思っていなかったはずだ。
『等伯』の第一章の冒頭部分で、天才絵師・狩野永徳の描いた「二十四孝図屏風」を見た等伯(当時は絵仏師の信春)は、「ああ、私は今まで何をしてきたのだ」という渇きを抱き、都へと旅立つ。時に、三十三歳。安部良法が小説家になりたいという野望に向かって、全力で疾走し始めた年齢と重なる。
そして、『等伯』の最終部分の第十章。等伯の魂から出現した「松林図屏風」を見た豊臣秀吉は、「わしは今まで、何をしてきたのであろうな」という思いに駆られる。時に、秀吉は満五十七歳。安部の『等伯』刊行時点での年齢と重なる。
『等伯』で反復される慚愧の念と、身を灼く焦燥感のモチーフは、青春期からずっと安部の心を占めていた太宰治に加えて、中原中也をも招魂しているのだろう。
あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ
芸術という魔の「風」に突き動かされ、鬱勃と噴き上がる芸術への熱き思いが、全身全霊でぶつかるべき「壁」を作り上げ、それとの戦いを、芸術家に課す。敗北がほとんど決定済みの、不如意きわまりない戦いである。
中也の詩のタイトルは、「帰郷」。魂の原郷への回帰願望は、安部が太宰や中也から受け継いだ遺伝子だったのではないか。私は安部龍太郎が「ロマン派=日本浪曼派」だったと、言いたいのではない。原郷への帰還を願うロマン派の志さえも、さらに突き抜けるのが、安部の素志だったと思うのだ。安部の魂は、原郷を突き抜けた勢いを維持したままで、現在へ、そして世界へと飛びだしてゆく。それが、閉塞した現代世界を変革する歴史小説を生み出す。安部は、ロマン派を超えた。
等伯の傑作「松林図屏風」を見た近衛前久は、「等覚一転名字妙覚やな」、「観足下ということや」と、胸中を漏らす。この言葉の深遠な意味が理解できない秀吉のために、石田三成が「初心にかえる。初一念に立ちもどるということでございます」と解説する。
風に騒立つ心は、風によって鎮められもする。その風は、魂の原郷、自分自身の生の原点から吹いてきて、そこへと人間を吹きもどす。風に後押しされて原郷へと一心不乱に駆けもどってきた魂は、加速度の付いた勢いのままで、かつては目的地だった原郷を通過点にして、新世界へと突入してゆく。ここに、ロマン派を超えた安部文学の現在がある。
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