「レバ刺しの丸かじり」。このたび刊行される本書のタイトルを聞いて、あああっ。私は、思わずのけぞりました。なんという人生の符合、なんというタイミングでしょうか。東海林さん自身も気づいていないようですが、このタイトルを記憶にとどめながら拙稿を読み進んで下さいませ。のちほど楽しいことになるかと思います。
さて、東海林さんは昨年末、人生で初めての長期入院生活を経験しました。四十二日間、師走の長丁場。年の暮れになってシャバに復帰を果たしたのですが、週刊誌や月刊誌の連載は翌年一月中旬まで都合一ヶ月ほど休載を余儀なくされました。いつもそこにいてくれるタンマ君がいない、あれも食いたいこれも食いたいショージ君がいない。これはさみしかった。いや、さみしさを感じる前に不在の現実がにわかに信じがたかった。
東海林さんにとっても、四十余年におよぶ執筆生活を通じて初めての経験はさすがにこたえたようです。本人曰く「とくに病気になったこともない、風邪をひいたこともない。寝込んだことだって一度もないのに、もう青天の霹靂」。健康管理については本人なりに万全を期していたらしく、十種類近くまとめて口のなかに放り込むサプリメント類は、一体どれが効いているのか判断がつかないため、もはや一種類も止められない健康オタク的状況です。オイ見てきたようなことを書くなよ、と思われるかもしれませんが、これも本人が苦笑いしながら言っていたので間違いありません。
しかも、定期的にゴルフ、野球、そのうえトレーニングマシーンを部屋のかたすみに置いて日々鍛えているもよう。愛用の白いTシャツごしに目視確認すると、東海林さんはハラも出ておらず、たまに腰が痛いとかつぶやくことはあっても、基本的にシュッとしている。意外にも筋肉男子です。だからこそ、四十余年におよんだ毎日新聞連載「アサッテ君」は前人未到の一万三七四九回を記録し、週刊朝日「あれも食いたいこれも食いたい」は連載一四〇〇回を越え、週刊文春「タンマ君」は連載二三〇〇回間近、いずれも偉業更新中です。
とまあそんなわけなので、いきなりの手術宣告(初期の肝細胞がん、該当箇所を切除)と入院生活が身にこたえたであろうことは容易に想像がつく。しかし、骨の髄まで観察のひと東海林さだおは、転んでもただでは起きません。地べたぎりぎりまで低く設定した目線に自虐を混ぜつつ、入院生活の一部始終を「初体験入院日記」(「オール讀物」連載「男の分別学」、これも連載開始以来三十六年!)と題して執筆し、「入院生活は究極の不本意である」と看破しています。注射も不本意、レントゲン検査室の前で何十分も待たされるのも不本意、あてがいぶちのごはんが運ばれてくるのも不本意。そして、この結論。
「そもそも、病気になるということも本意ではなかった」
人生はなんと理不尽であることよ。しみじみとした無常感が漂ってきて、泣かせます。
本書でも、本意と不本意とのあいだに挟まれて、東海林さんがうろうろあたふた翻弄されるようすは「おもしろうてやがて哀しき」を地で往く。読者はふへへと脱力の笑いを洩らしながらも、いつしか視線をおのれに向け、東海林さんの姿に自分を重ねています。だから、東海林さんの「丸かじり」がいっそうずきゅーんと胸に刺さってくるのだと思います。
たとえば「牛乳ビンのチカラ」。
「ビンの口全体をくわえようと思えばくわえることができ、ビンの中に唇全体を押し込めることはできるのかな、と思って押し込んでみたらスッポリ入りました」
抱腹絶倒ののち、圏外に突き抜けたような浮遊感を味わう。牛乳ビンの口を咥えて試している東海林さん。目を泳がせつつ、どれどれと唇を押し込めている東海林さん。牛乳ビンからの自然な「流出」を受けとめてうっとりしている東海林さん。どれもこれも意識下に潜んでいた、あるいは人前では見せられなかったボクのワタシの姿であります。それでもって安堵したり、苦笑いしたり、勝手に励まされてみたり。そしてひっそり思うのです。ありがとう東海林さん。
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