さて、十二月某日。無事に社会復帰をはたした東海林さんを囲んで、地元西荻窪でささやかな退院祝いを催しました。退院以来、初めてのおんも。不本意な食事事情に甘んじてきた東海林さんにとって、待望の、しかしおそるおそるの外ごはん。ただし、何より好きなビールはしばらくお預けだと言われちゃってねえ、と哀しげな表情です。
しかし、東海林さんは攻め込んでくる。
「なのに、みんなは飲むの? えーっ。そんなひどいことしちゃっていいわけ」
それはそうだ、飲みたくて悶絶しているひとの隣でプハーはないよね、と私たちも同じノンアルコールビールにしようかと話がまとまりかけたのですが、「まいっか」と急に許可が下りたので、こそこそ日本酒を注文。とにもかくにも退院おめでとうございます、長かったですねえ四十二日間も。口々に労をねぎらうのですが、隣から妙な視線を感じる。なんだなんだと見ると、なみなみと注がれた日本酒の枡を東海林さんがじーっと凝視している。無意識のうちに、視線が酒に吸い寄せられているのです。すきなアルコールを取り上げられた飢餓感の迫力にびびりました。
とりあえず気がつかないふりをして、本題に入ってみた。
「東海林さん、手術はどこをどのくらい切ったのですか」
賢明な読者諸氏は、ここで「あ」と思われたと思います。そう、冒頭にお伝えした一件です。
東海林さんは間髪を入れず言った。
「えとね、レバ刺し一人前強」
このくらい、と両手で輪っかをつくり、皿の上にのっかったレバ刺しの量を示してくれるので、大変わかりやすかったです。肝臓の上部の病巣を斜めに切除したらしい。
このたびのレバ刺し繋がりの展開を東海林さんは予測していたでしょうか、本書の締めくくりの一編「レバ刺しはこのまま消えてもいいのかッ」に、恋情が切々と綴られています。
「別れという心情は愛を芽生えさせる。逢えないという思いは愛を深める。
さだおは次第にレバ刺しとの恋に落ちていくのであった」
「さだおは動揺した。
動揺は愛を煽る。
逢いたい。レバ刺しに逢いたい」
千々に乱れるさだお。一貫してレバ刺しに翻弄されているさだお。
「逢いたい。レバ刺しに逢いたい」
絶唱に心打たれます。
しかし、二〇一六年四月現在、さだおはビール解禁の日のことで頭がいっぱいです。別れたレバ刺しへの未練はとうに捨て去ったとみえ、晴れてぐびぐびプハーと生命の水を喉に流しこめるのは、まだか、まだか。指折り数えつつ、はっきりいって気も狂わんばかりです。本書にはそんな東海林さだおの百八つの煩悩がぎっしり詰め込まれて、艶やかに輝くレバ刺しのようにフルフル揺れています。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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