田丸 私だってあえてシモネタ好きを演じてるのよ。今度の本を出すのも恥ずかしくて、つい、いい年をして、とか思っちゃうのね。
米原 うーん、演じているだけで、ここまでシモネタは集められないよ。
田丸 ボッカッチョはペトラルカと同じ時代じゃない。最高のラテン語使いで、薫り高い文芸作家のペトラルカに、ボッカッチョは心酔しきっていたのね。ところがペトラルカは、君の才能は認めるが『デカメロン』は愚作だと言ったのよ。俗語のイタリア語を使わないで、ラテン語でもっと高尚なものを書きたまえと言われて、ボッカッチョは自分の書いた『デカメロン』の卑俗性を恥じ、ラテン語で学術書を書き始めたけれども、全てが中途半端で、どんどん落ち込んでいった。だから私はあなたの路線を踏襲しないで、卑俗だけど、堂々とふてぶてしくエロスを追求する。路線を変更しちゃいけないのよ。
米原 おっ、ボッカッチョに自分をたとえてしまいますか! それなら、ほら、よがり声が漏れないために寝室の壁をコルク貼りにした社長の話とか、以前田丸が話してくれたもっと赤裸々な話を入れるべきだよ。まあ、次回のお楽しみってとこかな(笑)。
田丸 イタリア男は女を見たらくどくのが礼儀とか言われてたじゃない。ところがEUに組み込まれたせいか、彼らもかなりビジネスライクになったなと思ってたの。先日仕事した社長も、そばで訳す私に一切関心を示さなかったのよ。ところが午後、すごく美人のインタビュアーがきて、「まず来日の目的をお伺いします」と言ったら、「あなたに会うためです」(笑)。「それでは第二の目的は?」「あなたを夕食に誘うことです」(笑)。やっぱり変わってないのよ。女を選び始めただけなの。三〇年経ってやっと黒子の通訳になれたと、喜ぶべきなのかな。
米原 イタリアではセクハラをしないことがセクハラだって書いてるよね。日本だと、「Aさん、今日のスーツ素敵だね、口紅も新しくしたんじゃない?」と言っただけでセクハラになる。BさんにもCさんにも言わないで、美人のAさんにしか言わないから。イタリア男は、美人だろうとブスだろうと、職場の女全員に声をかける。
田丸 だからブスも誤解してブスだという自覚がなくなり、幸せに過ごせる。
――全員をとりあえずくどくにしても、男にも好みがあるわけですし、ちゃんと本命にはサインを出しているんですか。
田丸 好み? いつでも誰とでもできるのが男というものです。好き嫌いを言ってはいけません。女を幸せにするのが男の務めだから。微力ながら務めなくては。
――お仕事みたいじゃないですか(笑)。
米原 妹がイタリアで勤めていたとき、毎朝、男たちに「結婚しようよ」「さもないと僕は身の破滅だ」とか言われ続けて、そのうち言語中枢に達するときには「おはよう」としか聞こえなくなるわけ。イタリア女性は毎日そう言われ慣れてるから、「こんにちは」「やあ」ぐらいにしか聞こえないのよ。
田丸 ところが日本から来た女の子が、その気になって、ほんとに寝ちゃうから、くどいた男も困ってたりするのよ。
米原 挨拶のつもりだったのに。
田丸 いつのまにかベッドにいるぜ。
米原 男にとって誰でも見境なくくどくことはすごく大切なの。光源氏やドン・ファンやカサノヴァがなぜこれほど愛されているかというと、老若美醜に拘らずにあらゆる女性とやったからなのよ。
田丸 つまり功徳を施しているのよね。
米原 そう。狭い自分の好みに縛られていると、愛されないのよ。
田丸 日本人は言葉にしてほめるのが苦手だから。イタリア人の豊富なほめ言葉を訳すのにいつも困る。スプレンディッドも、ファビュラスも、マーベラスも、エクセレントも、すべて「素晴らしい」としか訳せない。書かせると類い希(まれ)なとか、語彙も増えるのに……。
米原 「類い希な美しさ」って、ちょっと声に出しては言えないもんね。冗談や皮肉としか受け取られないだろうし。
シモネッタのデカメロン
発売日:2008年06月20日