私が読んだのは岩波文庫の『三国志』(内容は『三国志演義』)であり、それをすくなくとも八回は通読した。いまはほかにちくま文庫などでも読むことができる。ただし通読をくりかえすうちに、
――何かが隠蔽されている。
と、感じるようになり、さらに、真実の光があちこちに微かではあるがのぞいていることに気づくようになった。ああ、これは歪曲された世界なのだ、と意(おも)ったことはたしかであり、『三国志演義』への読書熱が冷(さ)めるきっかけはそこにあったといってよい。かわりに正史の『三国志』を読みたくなり、筑摩書房の翻訳が完成するまで、首を長くして待ったという憶えがある。ところがその訳本がそろったあとに、私の関心は三国時代から離れてしまい、正史『三国志』を通読することはなかった。実際、私は中国の古代にのめりこんだ。そのおもしろさは比類のないもので、中国史の深遠さに驚嘆した。その世界にとどまって小説を書きつづけているうちに、ときどき三国時代を遠望したものの、あまり魅力を感じなかった。古代のほうが人に豊かさがある。人をささえるものとその位置、いわば支点がちがうので、当然、力点と作用点がちがうということになる。古代では人をささえているものは人だけではない。そういう観点に立って三国時代をながめると、人と人の距離が短すぎて、玄妙さに欠ける。私の正直な感想はそういうものであったが、私の小説の世界が、商(しょう=殷<いん>)から周、周から秦末漢初に達したころ、三国時代を書かなければならなくなった。
――三国時代はむずかしい。
その時代の切りかたとして『三国志演義』があり、作者の趣旨も明確である。みごとな作品であるといわねばならない。が、そこには多くのものがかくされていて、時代の真実がみえにくい、と往時に感じたことを中心にすえて、歴史をじかに視るという工夫をしないかぎり、他人の小説の上にあらたな小説を載せる作業に終始するだけになってしまう。それゆえ私は『三国志演義』を忘れるということからはじめた。つぎに後漢という時代をできるかぎり正確に知ろうとした。王朝そのものが盛衰の原因である、と考え、個人の善悪の力を必要以上に擢用(てきよう)しないことをこころがけた。そういう自制のなかで、二年間ほど後漢王朝を凝視しつづけた。
曹操を知るためには、祖父の曹騰(そうとう)を知らねばならぬということであり、曹騰が宦官(かんがん)であるかぎり、宦官を識る必要があり、宦官に権力を与えた垂簾(すいれん)政治を理解しなければならない。それらの渾【肴+るまた】(こんこう)が歴史の世界なのであるが、では歴史の主体とは何であるのか。歴史の主体とは、人以外何があるというのか、といわれそうであるが、私はそのことを考えつつ、後漢の名臣である楊震(ようしん)の、四知、ということばを憶いだした。たれも知らないとおもわれることでも、天が知り、地が知り、わたしが知り、あなたが知っている。それが四知なのである。後漢の時代になっても良い伝統が失われていないことが、その短い語から感じられ、それを承(う)けて小説を書きはじめることができた。小説を書きつづけているいまも四知を忘れたことはない。
後漢の時代に紙を発明したといわれる蔡倫(さいりん)は宦官であり、章(しょう)帝の皇后の諷旨(ふうし)をうけて、宋(そう)貴人を自殺させるが、宋貴人の孫が皇帝(安<あん>帝)になったことで復讎(ふくしゅう)され、死刑に処せられそうになる。勅使を迎えた蔡倫は、薬を飲んで従容(しょうよう)と死ぬ。それは王朝の内のささいなことかもしれないが、私には興味深く感じられた。そういうひとつひとつが歴史の力点になっていることをみのがしたくない。それをつづけてゆけば、人と人とが近すぎると意った世界に、あらたな天と地が出現するであろう。
三国志 第一巻
発売日:2014年05月30日
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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