
おっと、先走りすぎた。おりんの夢に話を戻そう。ここで熙姫は、夕顔の君が初めて源氏の君に会ったときに詠んだ、「心あてにそれかとぞ見る白露の 光そへたる夕顔の花」という一首を口ずさむ。本書のタイトルにある“白露”は、ここから採られたものである。さらにいえば本シリーズは、要所で和歌が使われ、それが登場人物の心情と重なり、物語に深みを与えるようになっている。やはり江戸時代を舞台にした「代筆屋おいち」シリーズでも似た手法が用いられていた。篠作品の独自の光彩は、こうした和歌の扱いにも求めることができるのだ。
懐かしい夢から覚めたおりんは、いつもの日常に戻った。しかし桜木蓮次の様子がおかしい。おりんと会ってもそっけないし、吉原に出入りしているとの噂も聞いた。「越後屋」の主を通じて、あるお偉方が望む、能装束の製作を依頼されたおりんだが、どうにも気が乗らない。アイディア触発のために岩槻の人形を見にいくが、そこが蓮次の故郷らしいと知り、彼の過去を調べたりした。それでも優れた発想で、能装束を作り上げたおりん。依頼主の柳沢保明(シリーズに相応しい着物の話題を通じて、保明の才知を読者に知らしめる小説技法が素晴らしい)にも認められ、見事に依頼を果たした。やがて蓮次が吉原に出入りしている理由も判明。しかしそれは蓮次の過去に深くかかわるものであった。
一方、京では熙姫が、江戸下向を促す使者の鈴木辰之助に、塚原右近のことを調べさせていた。しだいに明らかになる右近の経歴。そして、意外な事実が明らかにされたのである。
本書は、時代小説をフォーマットとしながら、成長小説・恋愛小説・ミステリー・お仕事小説など、さまざまなジャンルの要素が盛り込まれている。作中の能装束もそうだが、おりんが才覚を発揮して優れた仕事をする場面は、読んでいて楽しい。そこから窺える彼女の成長に、嬉しくなってしまうのである。
さらに実在の人物や事件が絡んでくるところも、シリーズのポイントになっている。そもそもおりんと友情で結ばれた熙姫が、実在人物だ。その他にもヒロインの周辺には、実在人物が多い。さらに前作『山吹の炎』では、天和の大火が、物語に組み込まれていた。おりん自身は市井のちっぽけな人間だが、権力者の動向や、実際の事件の余波などによって、歴史のダイナミズムが表現されている。史実と虚構が、バランスよく溶け合った物語になっているところも、シリーズの美質になっているのだ。
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