当たり前であるが、それぞれのタイトルにアーティストの固有名詞を書き込むと、著者の作品タイトルではなく、どこかにありそうなコンピレーションアルバムになる。試みに目次を改変してみよう。
(1)Man in the Mirror(マイケル・ジャクソン)
(2)Geronimo-E, KIA
(3)Bitch(ローリング・ストーンズ)
(4)Just Like a Woman(ボブ・ディラン)
(5)Search and Destroy(ザ・ストゥージズ)
(6)In a Large Room with No Light(プリンス)
(7)Life on Mars?(デヴィッド・ボウイ)
(8)Sunday Bloody Sunday(U2)
(9)For Your Eyes Only(シーナ・イーストン)
(10)The Nutcracker(ピョートル・チャイコフスキー)
(11)Family Affair(スライ&ザ・ファミリー・ストーン)
(12)Ride on Time(山下達郎)
こんなカセットテープを編集してそうな昭和の中学生はどこかにいませんか。ただ、これはあくまで阿部和重作品のタイトルなのである。あしからず。それに、直接、歌詞や曲のイメージが、作品に反映されているということはない。むしろ、正反対の印象すら受けるだろう。どうだろうか。本編を読むのを引き留めておきながら、どうだろうか、というのも迷惑な話だが所詮つまらぬ解説なのだから許してくれないか。さて、ところで、例えば最初のマイケルの歌は、前向きな、争いのない世界へ近づくにはまず自分を戒めようという歌だ(と思う)が、そのタイトルをまとったわれらが阿部和重作品は、読んでおわかりのように争いが激化する世界をさかんに書き綴る。読みたくなっただろうが、本編に入るのは時期尚早だ。
上の改変目次をまあご覧なさい。一つだけ空欄がある。(2)である。「Geronimo-E, KIA」とは国際テロ組織アルカイダの指導者、ビン・ラディンの暗殺計画が成功したことを意味する言い回しとして有名なフレーズである。「ジェロニモ」はビン・ラディンのこと、また「E, KIA」とは「Enemy, Killed In Action」の略。本作は、「新潮」二〇一一年一二月号(一一月七日発売)の「文學アジア3×2×4」の第4回「喪失」篇と銘打たれた特集で発表した短編だ。韓国、中国、日本の文芸誌に同時に作品を掲載するという企画だったが、著者は、二〇一一年三月一一日の東日本大震災から二か月後に起きたこの「事件」の直後、まだ事実も出揃わぬうちに書き出したという。企画意図からは意外な主題だろう。東日本大震災のことを日本の文学者がどう書くか、それが求められるような「喪失」の主題に、著者はビン・ラディンの「喪失」を書くわけだから。「ビン・ラディン暗殺を世界の誰よりも早く書かなければならないという謎の焦燥感に駆られて、すぐにネットで情報収集を始めた」とかつてわたしに語ってくれたときの彼の表情は今でも似顔絵が描けるくらいだ。とても真剣で、しかも、自分でも自分の選択に驚いている様子。ビン・ラディンが首謀者とされる二〇〇一年九月一一日のアメリカ合衆国における同時多発テロ以後、フィクションを書く自分と現実との距離感を捉えかねて、バランスを崩したとも語った。眉間に皺を寄せたその表情も今でもよくおぼえている。単行本の帯に「9.11―3.11 時代を撃ち抜く超小説集」とあったが、二〇〇一年九月一一日という日が、この短編集の起点になっていることを示している。この一作だけが、音楽作品のタイトルではない。しかし、強烈な固有名と共にあるという意味では、昭和の中学生としては、この空白に、(ビン・ラディン/アメリカ合衆国)と記入してみたい。すると、目次全体を通して、アメリカ文化、もしくは西洋文化というものが、この本の隙間から、きわだって聞こえてくるのは、わたしの耳だけではあるまい。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。