安野 うちのお正月といえば、お雑煮ですが、煮干しの出汁にお醤油で味付けをして、蕪を入れました。煮干しを丸餅と一緒の鍋で煮てしまうから、柔らかい餅に化石のようになったカタい煮干しがベタッとくっ付いちゃう。それにはヘキエキしました。
高松村には、「餅なし正月」というのがあるそうですね。
船曳 はい。「縁起」といって、寺崎では年越しのお雑煮を食べた後、正月三が日、餅を食べてはいけない。神様にもうどんです。これが五日間の家も、七日間おかゆという、ひどい「縁起」の家もありました。
安野 そういうタブーは関東だけですか。
船曳 いえ、西日本の四国、熊野にもあり、その神話的分析もさまざまです。貧乏で餅がつけなかった先祖を偲んでとか、通りがかった高僧や貴人が所望したのにケチで与えなかった、以後その家で餅をついても粥になってしまうからとかです。この場合、高僧はお大師さまであったり、貴人は鎌倉に護送される大塔宮とかです。
安野 面白いねえ。
船曳 ただ関東になると芋文化がからんできます。里芋です。
安野 里芋は芋の中でも高級品でした。
船曳 はい。高松でも里芋を特別の儀礼食として正月飾りにした家があります。そして正月にこのタブーを破ったら餅から血が吹き出たとか、家が火事になるなど、“赤色”がキーワードになってきます。
つまり、餅=白色=水=水田稲作という文化に対して、里芋・粟・稗=赤色=火=焼畑農耕という文化の残影ではないかという説になってくるのです。里芋のズイキも雑穀も赤色です。これは民俗学者の坪井洋文などによっているのですが、村に続いている習俗の深層には何百年、何千年も前からの集団の無意識があるのだと……。
この話は本には書いておりません。だいたい、村では、餅が早くなくなるのが心配だからでねえかという人も(笑)。
残したい四季おりおりの風習
安野 お盆の風習も、面白いですね。お盆に墓参りをして、ご先祖さまをおんぶするようにして帰るとは、はじめて知りました。
船曳 お墓の前でお線香を手向けたあと、墓石に背を向けてしゃがむ。すると、ご先祖さまが墓石の中からするするっと出てきて、めいめいの背中に乗られるんです。子どもたちは三歩も歩くと、背をのばし手を振って歩いてしまうんですが、ご先祖さまは自力でしっかりとしがみついているそうです。ヤスおばあさんは家に着くまで、決して手を後ろから離しませんでした。
安野 うちではお盆の飾りもしなかった。盆提灯に火を灯して、仏壇に供えたくらい。
船曳 西日本にはお盆に「お接待」という心優しい風習がありますね。安野さんはお接待に行かれましたか。
安野 子どものころは、風呂敷の端と端を合わせて袋のような形にして手を通し、そこにお米を入れてあちこちのお接待所を回りました。「お接待に来ました」と風呂敷からお米を少しすくって出し、村の人からお赤飯のおにぎりやお煮しめ、酒粕の団子やラムネをもらう。お接待所は四国の八十八か所巡りみたいに、次はここ、そのあとはここと、いくつもありました。
船曳 いまではこうした風習はあまり残っていないですよね。せいぜいお正月くらい。私は床の間にお鏡がないと、お正月が来たような気がしませんけれど。
安野 わたしはあまりやっていません。以前はお正月飾りを売っているのを見て買っていたけれど、「これは絵を描いたほうがいいぞ」と思って紙に描いたお正月飾りを画鋲で止めたりしています。
船曳 まあ、それは神様も大喜びですよ。それも安野(餡の)餅ですね。
安野 うちは親父が無神論者で、形ばかりの鏡餅を作っていたんです。僕も信心深いほうではない。だからなのか、わたしの子どもは神様の「カ」の字も興味がないですね。家に神棚もない。子どもの頃に教えてやらなかった親の責任かもしれませんが。
船曳 どこの家も同じでしょうね。四季おりおりの風習は、残そうとしないと消えてしまう一方のような気がします。
安野 『一〇〇年前の女の子』は、今はなくなってしまった懐かしいものを、たくさん思い出させてくれます。農閑期の大寒から春の季節に、小間物屋が荷車でひいてくる櫛やかんざしに村の女たちが胸をときめかせたり、寒紅売りから、当時まだ高価な紅を買って、大事に小指でチョンチョンとつける様子などは、とても生き生きと描かれています。
越中富山の薬売りも懐かしい。あれは廣貫堂といって、家にその薬箱がありましたが、富山うまれの友人にあげました。四角の紙風船は子どもたちの楽しみでした。
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