- 2017.03.10
- 書評
虚実超えたリアリティー 経済小説の地平拓く
文:加藤 正文 (神戸新聞姫路支社編集部長兼論説委員)
『勁草の人 中山素平』(高杉良 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#政治・経済・ビジネス
高杉ワールドの核心
二〇〇一年暮れから翌年六月まで神戸新聞の経済面で「熱き風 経済小説の舞台」という連載を同僚たちと担当した。当時、小泉純一郎政権の構造改革路線で企業の経営破たんが相次ぎ、経済社会は収縮していた。「戸惑いや不安で先行きは見えないのなら、時代を熱く駆け抜けた小説の主人公たちに現代の光を当てて針路を探ろう」。そんな問題意識で経済小説の行間を読み、その舞台を訪ねた。
城山三郎『鼠(ねずみ) 鈴木商店焼打ち事件』『零からの栄光』『価格破壊』、山崎豊子『華麗なる一族』、清水一行『殺人念書』などを取り上げる中でその熱さと濃度に衝撃を受けたのが高杉良の『炎の経営者』(一九八六年)だった。
主人公は日本触媒の創業者、八谷(やたがい)泰造。化学者であり、戦後の日本で国産の独自技術で新境地を切り開いた技術志向の経営者だ。当時の石油化学工業は米国の技術に依存し、立ち遅れていた。八谷は国産にこだわり、塩化ビニールの可塑剤になる無水フタール酸の工業化、合成繊維の原料となるエチレンオキサイドなどの開発を、財閥系企業に先んじてやってのける。財界の巨頭、永野重雄に株主になってもらいたいと広島弁で直談判する場面は印象的だ。
〈「わたくしどもは(中略)必ず日本の化学工業の中で重要な位置を占めるはずですけえ。(中略)資金的なゆとりがのうては、どうすることもできません。ええ技術も宝の持ち腐れになりますけえ」八谷は、永野をまっすぐとらえて放さなかった〉。(『炎の経営者』)
専門紙記者だった高杉は、八谷の情熱にほれ込み、丹念な取材で時代の熱気を作品に写し込むことに成功している。ここに高杉ワールドの核心がある。「取材が七で執筆が三。書き始めた段階でもう七割が済んでいる」と言う通り、調査マンを使わず、自らアポイントを取り話を聴く。そして執筆に集中する。仕事場には雑音を避けるために電話も置いていない。「僕はアルチザン(職人)ですから」という言葉が耳に残る。
そこで紡ぎ出されるのがあの独特の「会話劇」だ。よく練られたというレベルを超えて、記憶力と想像力のなせる業としかいいようがないが、今そこで交わされているような臨場感で会話が展開していく。
ばらばらの真実のかけらを集めて「虚構の世界」を構築するのが作家の力量だ。実在の人物や組織を想起させる記述もあるが、「作家として想像力で現実を強調、変形させ、小説における真実を浮き彫りにする」。そこで生まれる迫力が「実の世界」を強め、虚実を超えるリアリティーとして結実するのだろう。
アルチザン作家
生きた人間が動かす経済社会の実像をつかみたい、複雑な事象を読み解きたい。今、経済小説の世界が隆盛しているのは、現代社会の混迷が背景にあるが、何よりも、光と影の入り交じる世界を作家たちがリアルに浮き彫りにしてくれるからにほかならない。
「組織と個人」に焦点を当てた城山三郎、企業や人間の暗部を描いた梶山季之や清水一行らが先達だが、続く高杉良という高峰の後に、幸田真音、黒木亮、楡周平、池井戸潤、真山仁、相場英雄らの活躍が目立つ。
高杉にこんな問いをしたことがある。「作品の出来を左右するものは何か?」
即座に返ってきた。「リアリティーが生命線。つまるところ人間が描けているかどうか」
高杉良、七八歳。アルチザン作家の魂は自足しない。(文中敬称略)
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