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『神様の暇つぶし』千早茜――立ち読み

出典 : #別冊文藝春秋
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

別冊文藝春秋 電子版15号

文藝春秋・編

別冊文藝春秋 電子版15号

文藝春秋・編

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「別冊文藝春秋 電子版15号」(文藝春秋 編)

 言いながらワークパンツのポケットから掌サイズのよれた薄い袋をだし、素早く指先を動かして紙のようなものをぺろりと舐めた。なにをしたのか見定める間もなく、ライターの火がふっと横顔を照らし、全さんがふうっと息を吐いた。焦げた砂糖のような煙が暗闇に甘く漂う。

 全さんが煙草を指に挟みながら私を見下ろした。

「におい、気持ち悪いか」

 穏やかな声だった。けれど、今にもどこかへ歩き去ってしまいそうで、慌てて口をひらいた。

「いま、なにしたの」

「巻いたんだよ。手巻き煙草、見たことないのか」

 おいっしょ、みたいな声をもらしながら全さんがしゃがみ込む。煙がいっそう濃く匂った。父は私の前では煙草を吸わなかった。なのに、その匂いはどこか懐かしく思えた。

 膝の上のビニール袋を両手で抱くようにした。小さな生き物のようにあたたかい。地面に直に座った尻が生理ナプキンでむれてきたが、手の中の温もりにすがるようにして座り続けた。

「悪かったな」

 息を長く吐きながら、全さんがつぶやいた。

 青みがかった暗闇の中から、もっと暗い目が私を見つめていた。その目に軽蔑の色はなかった。それに気付くと、店の中で言われたことの衝撃がゆっくりと蘇った。

 全さんの目がなにかを確認するように私を探っている。「まあ、ショック受けるよな」と狎(な)れた口ぶりで言われた途端、反発心がわいた。

 私が吐いたくらいで弱気になるのなら言うな。ほだされて「大丈夫です」なんて言ってやらない。ジジイのちんけな罪悪感を薄れさせてなんてやるものか。

 全さんを見つめ返した。

「私、処女じゃありません」

「ああ」と、気が抜けたように全さんが頷いた。

「それは失……」

「半分だけ」

「半分ってなんだ」

「試したことはあったんですが、うまくいきませんでした」

別冊文藝春秋からうまれた本

電子書籍
別冊文藝春秋 電子版15号
文藝春秋・編

発売日:2017年08月18日

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  • 『赤毛のアン論』松本侑子・著

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