言いながらワークパンツのポケットから掌サイズのよれた薄い袋をだし、素早く指先を動かして紙のようなものをぺろりと舐めた。なにをしたのか見定める間もなく、ライターの火がふっと横顔を照らし、全さんがふうっと息を吐いた。焦げた砂糖のような煙が暗闇に甘く漂う。
全さんが煙草を指に挟みながら私を見下ろした。
「におい、気持ち悪いか」
穏やかな声だった。けれど、今にもどこかへ歩き去ってしまいそうで、慌てて口をひらいた。
「いま、なにしたの」
「巻いたんだよ。手巻き煙草、見たことないのか」
おいっしょ、みたいな声をもらしながら全さんがしゃがみ込む。煙がいっそう濃く匂った。父は私の前では煙草を吸わなかった。なのに、その匂いはどこか懐かしく思えた。
膝の上のビニール袋を両手で抱くようにした。小さな生き物のようにあたたかい。地面に直に座った尻が生理ナプキンでむれてきたが、手の中の温もりにすがるようにして座り続けた。
「悪かったな」
息を長く吐きながら、全さんがつぶやいた。
青みがかった暗闇の中から、もっと暗い目が私を見つめていた。その目に軽蔑の色はなかった。それに気付くと、店の中で言われたことの衝撃がゆっくりと蘇った。
全さんの目がなにかを確認するように私を探っている。「まあ、ショック受けるよな」と狎(な)れた口ぶりで言われた途端、反発心がわいた。
私が吐いたくらいで弱気になるのなら言うな。ほだされて「大丈夫です」なんて言ってやらない。ジジイのちんけな罪悪感を薄れさせてなんてやるものか。
全さんを見つめ返した。
「私、処女じゃありません」
「ああ」と、気が抜けたように全さんが頷いた。
「それは失……」
「半分だけ」
「半分ってなんだ」
「試したことはあったんですが、うまくいきませんでした」
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