あれは、大学に入って半年ばかり経った頃。相手は同じ基礎クラスの多田(ただ)という男子だった。私はただ、浮かれていた。珍しく音楽の話が合って、酔った菜月(なつき)の介抱をする私を「優しいね」と褒めてくれたから。えらの張った顔は苦手な部類だったが、私に気付いてくれる人がいるのが嬉しかった。飲み会の帰りに「うち、くる?」と、ひとり暮らしのアパートに誘われ、初めてなのを確認されてから「いいよね?」と服を脱がされた。私はほとんど硬直しているといっていい状態だった。みんなでいる時は控えめだった多田が豹変したからだ。鼻息が荒くなり、「いいよね?」の返事も待ってくれなかった。私と同じくらいの体格がすごく大きく見えた。そして、嗅いだことのない汗の匂いがした。その瞬間、違う人間の体だ、と感じた。多田は眉間に皺をよせながら無理にペニスを押し込もうとしてきた。痛がると舌打ちをされた。自分の指を唾で濡らしては私の陰部に塗りたくり、「おかしいな」と苛立った声をあげる。そこに私など存在していなかった。多田には性器しか見えていないみたいだった。滑稽な時間は延々と続いた。多田の額に浮いてくる汗とニキビ面を眺めているうちに、使えない物のように扱われる自分の体が惨めになってきて止めるよう懇願すると、「じゃあ口でして」と手首を掴まれた。その時はじめて私は多田のペニスを直視した。無理。口にしたか、してないかは定かではない。気がついたら、多田を突き飛ばしていた。多田は目を丸くしたままベッドから落ちた。ずいぶんゆっくりに見えた。床に仰向けになった彼の股間から突き出たものを見て、また無理と思った。服を着ていると、「俺、好きな子いるから」と訳のわからないことを告げられた。逃げるように多田のアパートを出て、明け方までかけて歩いて帰った。
後に、多田が童貞らしいと、男子たちが笑っているのを聞いた。きっと早くそれを捨てたくて、自分よりレベルが低そうな女を誘ったに違いない。けれど、非難はできない。好きかもわからないのに処女を捨てるチャンスとついていった私も似たようなものだから。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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