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長年のファンが考察する、極めて哲学的な、もしくは全くそうでない「問い」

長年のファンが考察する、極めて哲学的な、もしくは全くそうでない「問い」

文:麻生 俊彦 (神経科学者)

『年はとるな』(土屋賢二 著)


ジャンル : #随筆・エッセイ

 科学に関連して、先生が繰り返し警鐘を鳴らしておられるのが、相関と因果関係の混同です。たとえばテレビを観ない子は成績が良い、という結果が出たとしても、テレビ禁止といった介入(しつけ)が推奨されるわけではありません。一般に因果関係を示すには介入試験が必要なのですが、育児のように取り返しがつかないことは実験しづらいために、ニセ科学的な仮説も排除されずに残ります(育児より前の段階である結婚も同様に取り返しがつかないため、誰も正しい方法を知りません)。もう一つ例を挙げるなら、土屋先生が年賀状はもうやめると宣言されるや全国で賀状が売れなくなったとか、神戸に移られてから時を置かずして大きな組織が分裂したとかいう事実があるからといって、必ずしも先生が隠然たる力をお持ちだとは限りません。ただ証明されていないことと、無関係であることもまた別の話です。ニセ科学をむやみに攻撃する人は科学の範囲を狭めているかもしれないし、先生の力を信じず、本書を買わない者は夜の神戸港でうっかり足を滑らせる心配が排除されないのです。

 ここで個人的な話になりますが、土屋先生が公式サイトを立ち上げられ、掲示板にファンが集まっておかしなやり取りを始めたのも、かれこれ十七年ほどの昔になります。大学院生だった私は先生のジャズライブにお邪魔し、そのあと、これは信じていただけるかどうか、夕食をご馳走になりました。写真でしか先生をご存じない方が多いと思いますが、実際の先生はもっと奥行きがあります。そして容姿は地味でも、人を惹きつける声を持った男性が世の中にはいるものです。先生がまさにそれだったかどうかは忘れても、会食の場が女子大のうら若きお弟子さんたちでたいへん華やかだったことは、よく憶えています。ただ、どなたも非常に無口だったのが不思議でした。エッセイによれば、まだ口もきかない段階ではないはずだったからです。今になって、取り囲んでいたのはお弟子さんではなく債権者だった(もしくはお弟子さんで債権者だった)可能性に思い至りました。どうも記憶があやふやで申し訳ないのですが、食べ終わったあとに借金を申し込まれたような気もします。それから二度と先生にお目にかかったことはありません。

 楽しかったそのころから、時代は変わりました。趣味的で、どこかのんびりしていたインターネットは、本書の中でも触れられているように社会のインフラとなり(「ネットが世界を動かす理由」)、いたるところで見るに堪えない中傷合戦や揚げ足の取り合いが展開されています。この現状は、いみじくも「相互理解によって人間関係は破綻する」と先生が看破されたとおりですが、原因の一つは人間の攻撃性にあると思います。本能は快と不快というスイッチで個体の行動に影響します。ブドウ糖は甘く、腐った匂いは不快に感じられることが生命維持に有利なわけです。攻撃行動もまた、自分の社会的順位を上げたり繁殖相手を勝ち取ったりする利得に由来しますので、本質的に快であっておかしくありません(かたや「考える」という行為が流行しないのは、結婚や子孫繁栄を妨げるからでしょう)。最近読んだ本によると、ホモ・サピエンスに近い知能を持った霊長類がいないのは、われわれが根こそぎ滅ぼしたからだ、との考えがあるそうです。インターネットを与えられたのが、滅びたほうの、穏やかで愛のある人たちだったらどんなによかったでしょう。しかし、まだ悲観するのは早いと思います。この人間の攻撃性を和らげることができるのが、まさに笑いなのではないでしょうか。現に、笑いながら噛み付くことはできませんし、赤ちゃんを見たときなどについ口元が緩むのも、間違って幼弱な個体を食べてしまわないよう身についた本能だと考える研究者もいます(私です)。笑いによって世界をより良くしたい、という土屋先生の崇高な思い(半径三メートル以内の)を受けて、土屋賢二botと称する匿名のアカウントが先生のことばを発信していることは、全世界で二千人程度のフォロワーに知られています。

文春文庫
年はとるな
土屋賢二

定価:693円(税込)発売日:2017年10月06日

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