ただ、いま先生に用心していただきたいのは、著名人がバッシングされるときの勢いもまた増しているということです。まるで機会をうかがっていたかのように、一斉に多数が一人を叩くこの攻撃行動の裏には、さらに嫉妬心があるように思えます。新生児や犬にもジェラシーがみられるとの報告がある一方で、嫉妬は本能ではないという意見もあるのですが、そういう人たちは恵まれすぎていて嫉妬心を持ったことがないのでしょう(嫉妬を覚えます)。土屋先生におかれましては、次のように、独自の方法で嫉妬を克服しておられます。「わたしがこう言うのはうらやましいからではない。わたしより幸福な人がいることが許せないのだ」(「不要家族」より)。それにひきかえ私のような凡夫の場合、嫉妬心が生じるやいなや、それを自覚する暇もあらばこそ(単に不快感や怒りとして自覚されます)、瞬時にその相手を叩く自分への言い訳を考えているものです。しかし実をいいますと、この件では個人的につらい一年を過ごしました。デビュー当時から応援していたミュージシャンが活動できなくなっていたのです。最初のきっかけとなった雑誌に載っている土屋エッセイも当時は読む気になれず、仕事がはかどって科学が進歩する始末です。本人の行為を責めるファンも、もちろんいましたが、とりわけ私たちが心を痛めたのは、彼が表舞台から去ることまで望む人がいることでした。ファンというのは、そんなに売れなくても活動さえ続けてもらえればよいと願っているものです。土屋ファンならわかるはずです。私も、嫌いな有名人を中傷するのはもうやめようと思いました。たしかに叩く側にしてみれば、他人が若くして才能を認められ、よくわからない音楽を楽しげに演奏し、かつ記事によると具体的に異性をひきつけているわけですから、生物学的な羨望や嫉妬の要件は多すぎるほどです。そこへいくと、われらが土屋賢二先生は(1)雌伏して中年期を待つ、(2)苦しげに演奏する、(3)異性を完全に敵にまわすなどの手法で軽々とジェラシーを回避してこられました。同じ哲学者でも、「存在と時間」で知られるハイデガーなどは未成年者を含む教え子たちと不倫を繰り返し、愛人への手紙を出版されたあげく現在も無期限活動停止中と聞いています。
さて、紙数も尽きたのでここまでにいたします。土屋エッセイ最晩年の作にこのような拙文を寄せる機会をいただいたことは、望外の喜びでした。実は、土屋先生は私の両親と同い年ですので、私とは親と子ほども年が離れていると言っても言い過ぎではありません。ですから、市役所から要介護かどうかのチェックリストを送付された話(「元気!いきいき!!チェックリスト」)などは本作のクライマックスと言え、結果がどうなるのか手に汗握る展開となっています。さらにこうした事情を念頭に置いて通読しますと、先生が妻と呼んでおられる方は本当に奥様で、そこに実在するのかという、すぐれて哲学的ではない問いが立ち上がります。ここに及んで新たな芸風にチャレンジする著者から一日中目が離せません。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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