「カリスマ経営者」として二〇年にわたって賛辞を浴びてきた日産自動車前会長カルロス・ゴーンの衝撃的な逮捕、起訴は、二〇〇一年以降の「聖域なき構造改革」で外資との提携を推し進め、「痛みを伴う」というスローガンで守るべき雇用を削減してきた近年の経済運営の限界を示すような事件だった。
社長西川廣人(さいかわひろと)は「一人に権限が集中し過ぎた。ゴーン統治の負の側面と言わざるを得ない」と述べた。対して被告となったゴーンは勾留中の東京拘置所で一部メディアとの面談に際し、「これは策略、反逆だ」と言い切った。
日産で何が起きていたのか。仏ルノーから送り込まれた敏腕経営者は組織に大なたを振るい、「リバイバルプラン」などで活性化策を練り、瀕死の状態から復活させた。しかし時をへて一七年、出荷前の新車で国の規定に違反する無資格検査が常態化していたことが発覚し、リストラの一方で品質を担保する現場力の低下が露呈した。
そして今回のゴーン事件では「私物化」と言わざるを得ない実情が次々と表面化した。破格の報酬の虚偽記載、海外での自宅の無償提供、家族旅行の費用負担、姉へのコンサルタント料の支払い……。救世主はいつから、なぜ、会社を食い物にするようになったのか。非情にも退職を強いられた二万人もの従業員はどんな思いでゴーンの姿を見ているだろうか。
「歴史は繰り返す。日産には独裁を許す企業風土がある」
と高杉良は言う。一九八四年刊の『覇権への疾走』にその原点が刻まれている。当初、月刊誌『現代』八三年十二月号~八四年二月号に連載され、加筆されて単行本になった。その後『労働貴族』として文庫で読み継がれ、今回、『落日の轍(わだち)』にタイトルを改め、再び世に問われることになった。
これはゴーン問題を意識したものにほかならない。「百年に一度」の変革期にある自動車業界にあって、混迷の淵に沈む日産の迷走の轍をたどってみよう。
■「労働貴族」
高杉良には八〇を超す作品群がある。その中で同一テーマで書かれた二作がある。本書と、同じ一九八四年刊行の『破滅への疾走』だ。前者は実名、後者はモデル小説となっている。いずれも一九七〇~八〇年代の日産を舞台に実力社長石原俊(たかし)(一九一二~二〇〇三年)と自動車労連会長塩路一郎(一九二七~二〇一三年)の確執が描かれる。
塩路は一九五三年に日産に入社した。労働組合運動に打ち込み、自動車総連会長、国際労働機関(ILO)理事などを歴任した。国際的な視野を持ち、経営や人事にも影響力を持った。七七年に社長に就任した石原が主導した英国進出などをめぐり、経営陣と鋭く対立した。
高杉は取材・執筆の問題意識についてこう話す。
「労働貴族と呼ばれる人たちがいますね。組合といっても昔の組合と違って、企業内組合はまさに会社と一体でしょう。完全に会社と組合のトップが癒着しているから、限りなく労働貴族になっていくわけです。その癒着ぶりをえぐり出したかったのです」(高杉良・佐高信『日本企業の表と裏』)
「取材を進めると、日産の経営をいかに労組が捻じ曲げ蝕(むしば)んでいるか、労組幹部がいかに高待遇を受けて一般の組合員の上に胡座(あぐら)をかいているか、それが分かってきたのです。労務関係の幹部人事はおろか、役員人事にまで介入していたのですから、ひどい話です」(高杉良『男の貌(かお) 私の出会った経営者たち』)
関連会社を含めて二三万人もの組合員を擁し、「天皇」と呼ばれた労組トップが経営戦略や役員人事にまで口を出す。本書で描かれる、石原が労組から支援されていた副社長小牧正幸を退任させる際の二人の緊迫したやりとりは作品全体を貫くモチーフとなる。
「小牧さんの退任を撤回してもらえませんか。そうしていただけたら、組合としてもあなたに全面的に協力できるんですがねえ」
(中略)
「はっきり言わせてもらうが、きみから、こんなさしでがましいことを言われるとは想像だにしなかった。組合に反対されたら、なんにもできなくなる、というようなことがあっては、経営はできないし、経営責任は果たせない」
石原は、怒りに燃える眼で、塩路を鋭くとらえた。
(中略)
「聞いてもらえないんじゃ仕方がないですね。自今一切、あなたに協力することはできません」
■石原VS塩路
塩路は亡くなる前年の二〇一二年、四七七ページからなる『日産自動車の盛衰 自動車労連会長の証言』を出した。冒頭の「失脚」では写真週刊誌に掲載された記事の顛末がつづられる。
〈石原俊氏が日産社長に就任した昭和五十二(一九七七)年以来、私と石原氏の対立はことある毎にマスコミを賑わせたが、そのほとんどが社内の主導権をめぐって労組と経営陣が熾烈な権力闘争をしているというスキャンダルめいた切り口の記事、もしくは金、女にまつわるスキャンダルそのものだった。
われわれの対立が最も喧伝された日産の英国進出に関する労組の反対も、実際は“明らかに”会社の経営を危うくする──つまりは組合員の生活を危うくする──ような無謀な海外プロジェクトはやめて欲しいという、労組のトップとして至極あたりまえの提案に過ぎなかった。それが、あたかも私が権力奪取のために、石原氏を窮地に追い込む策謀をめぐらせているかの如く書かれ続ける〉
悔しさが行間から聞こえてくるようだ。著書では「日産迷走経営の真実」として社長の石原が推進した海外プロジェクトの行方が詳述される。米国への小型トラック工場進出、モトール・イベリカ社との資本提携、アルファロメオとの合弁事業、フォルクスワーゲン社との提携などだ。
〈“歴史を正しく理解する”という意味で最も重要なことは、四期八年に及ぶ石原氏の社長在任期間もその後も、業績は一貫して下がり続けたことである〉
一方の石原はその後、財界首脳にまで上り詰める。社長時代の一九八〇年に日本自動車工業会会長に就任、八五年から九一年まで務めた経済同友会代表幹事時代には、リクルート事件に揺れる竹下登首相(当時)への「退陣勧告」などを行い、「財界の論客」として名をはせた。
石原、塩路ともにすでにないが、あつれきは今も語り継がれる。二〇一八年にはかつて日産で課長を務めた川勝宣昭(かわかつのりあき)が『日産自動車極秘ファイル2300枚』を出した。副題は「『絶対的権力者』と戦ったある課長の死闘7年間」だ。当時、塩路の追い落としに奔走した様子がつづられる。今回のゴーン問題に触れ、「今度はゴーン自身が絶対的権力者となって会社を壟断した。巨大組織はなぜ、同じ歴史を繰り返すのか」と問いかけている。
高杉は、石原の塩路との向き合い方にも問題があったと述懐する。
「バランス感覚のある経営者だったが、最悪の方法でハードランディングをやった。役員人事でも主張にしても極端に動かず、時間をおいてうまく相手の顔を立てながらやれば、結果としてもうちょっと違う日産になっていたかもしれない」
日産は前述のとおり海外プロジェクトの失敗が経営の重荷となった。トヨタ自動車に徐々に差を広げられ、シェアを落とした。九〇年代後半には販売不振から倒産寸前の危機に陥り、仏自動車大手ルノーとの資本提携に踏み切った。二〇〇〇年、石原の最高顧問退任とともに社長に就いたのがゴーンだった。
■ゴーンへの疑念
高杉は四〇年を超す作家生活で向日性のある経営者を数多く描いてきた。『小説 日本興業銀行』『勁草(けいそう)の人』の中山素平(日本興業銀行元頭取)、『炎の経営者』の八谷(やたがい)泰造(日本触媒創業者)、『燃ゆるとき』の森和夫(東洋水産創業者)、『祖国へ、熱き心を』のフレッド・和田勇らだ。難局を乗り越える行動力、優しく正義感あふれる人柄が読者に勇気を与えてきた。
その一方で「筆誅(ひつちゆう)を加える思い」で描いてきた人物の描写が光る。「取り屋」として政財界にたかる雑誌主幹が主人公の『濁流』、巨大経済新聞の実情を描いた『乱気流』、消費者金融の実態に迫った『欲望産業』などでダーティーな側面をもつ人物を描くと、筆は一段と冴える。
「もう一〇歳若かったらゴーン問題を書いている」。バブル崩壊以降、加速した市場原理至上主義に警鐘を鳴らしてきた分、ゴーン改革に危うさを感じてきたという。「コストカッターとして改革を断行したのは事実。その一方で人員削減で泣いた人がどれほどいるか。外資の改革者としてメディアは賛美してきたが、今回の不祥事を見ると、いい加減で正体不明の男に振り回され、食い物にされた部分が大きいと感じる。日本が世界に誇れるのは終身雇用であり、丁寧なものづくりだ。その基盤を壊してはならない」
■第三次ブーム
高杉は二〇一九年一月で八〇歳になった。肝臓がん、前立腺肥大、黄斑と眼底出血と相次いで病気に見舞われた。それでも執筆意欲は衰えない。「書いているから元気でいられる」。自伝的作品の『めぐみ園の夏』、米リーマンショックを盛り込んだ『リベンジ』、ITベンチャーに焦点を当てた『雨にも負けず』と次々と連載・出版した。視力が衰えたため現在はルーペを使いながら、自身がかつて在籍した石油化学新聞時代の物語を書いている。『めぐみ園の夏』に続く青春編になるだろう。
ここへきて高杉作品がブームとなっている。『辞令』『出世と左遷(『人事権!』を改題)』『最強の経営者』『懲戒解雇』の文庫新装版などが業界関係者が驚くほどの売れ行きを見せた。『虚構の城』でデビューした一九七五年、映画化されて話題になった『金融腐蝕列島』を刊行した一九九七年、そして現在が第三のブームといえる状況だ。
「三〇年以上前の本がベストセラーになる。時代がいくら変化しても人の気持ちはそんなに変わるものでもないということだと思う」。生きる、働く、暮らす。人の営みに寄り添い、心情をすくい上げた作品は滅びない。
累計二千万部を刊行してきた経済小説作家はいまも同時代と向き合っている。
(文中敬称略)
※参考・引用文献
日産自動車調査部編『21世紀への道 日産自動車50年史』一九八三年
日本経済新聞社編『日産はよみがえるか』一九九五年、日本経済新聞社
高杉良・佐高信『日本企業の表と裏』一九九七年、角川書店
塩路一郎『日産自動車の盛衰 自動車労連会長の証言』二〇一二年、緑風出版
佐藤正明『日産 その栄光と屈辱─消された歴史 消せない過去』二〇一二年、文藝春秋
高杉良『男の貌(かお) 私の出会った経営者たち』二〇一三年、新潮新書
川勝宣昭『日産自動車極秘ファイル2300枚 「絶対的権力者」と戦ったある課 長の死闘7年間』二〇一八年、プレジデント社
井上久男「日産分裂 悪いのはゴーンだけか」『文藝春秋』二〇一九年二月号
ほかに、新聞記事、インターネットサイトの記事などを参照した。
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