2017.11.30 書評

なぜ辞令はかくも不条理なのか――「組織と人間」を見つめる人事小説の傑作

文: 加藤 正文 (神戸新聞播磨報道センター長兼論説委員)

『辞令』(高杉良 著)

 一方で弊害が表れるケースも枚挙にいとまがない。加護野は「ファミリー内の意見対立の解消の難しさ」「ファミリーと従業員の断絶」などを課題に挙げる。問題が露呈した企業の内部で何が起きているのか。メディアの報道と学者の分析。そのはざまをすくい上げるのが作家の仕事だろう。ばらばらの現実のかけらを集め、想像力を交えて再構築する。そこに小説上のリアリティーが生まれる。これこそが経済小説の醍醐味といえる。

 本作の主人公の広岡は持ち前の正義感で異動先の人事畑でも奮闘するが、最後には関連会社へ出向の辞令が出る……。妻の言う「寄らば大樹の陰」でエコーに踏みとどまるのか。ここで思い切って転職するのか。「人間到(いた)るところ青山ありだ」。そう思い至る広岡。アンフェアな人事でパズルのピースのように動かされ、あおりを食う名もなきミドル。現実にも多くのジュニアが同様に存在し、無数の広岡が同様に思い悩む……。

 高杉によると本作は編集者がまずタイトルを示してきたという。「まったくのフィクションです。舞台を家電企業にしましたから、家電の会社についてはそれなりに取材もしたし、勉強はしましたけれども、主人公に関して具体的なモデルがあるように思われると困ります」。読み進むとさまざまな場面で「自分ならこう行動する」というふうに連想が絶えず浮かぶ。虚が実のツボを刺激するのだ。そこにこの作品の最大の魅力がある。高杉リアリティーのエッセンスが詰まっているといえる。

作品の系譜

 経済小説の第一人者といえる高杉は石油化学新聞の記者時代の一九七五年に『虚構の城』でデビューし、以後、四〇年余で八〇もの作品を生み出してきた。

 その作品群を大別すると三つになる。まずは「実名小説」の系譜だ。日本触媒をけん引した八谷(やたがい)泰造を軸に化学工業の勃興期を描いた『炎の経営者』、東洋水産創業者の森和夫が体当たり経営で大手食品会社に育てあげる『燃ゆるとき』、JTBで新商品を次々に開発した大東敏治が活躍する『組織に埋れず』、日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)頭取、会長などを歴任した「財界鞍馬天狗」こと中山素平(そへい)を主人公に戦後の金融史を活写した『小説日本興業銀行』『勁草(けいそう)の人 中山素平』、外食チェーン「ワタミ」を率いる渡邉美樹を描いた『青年社長』、一九六四年の東京五輪実現に尽力したフレッド・和田勇の生涯を追った『祖国へ、熱き心を 東京にオリンピックを呼んだ男』などだ。取材対象と高杉自身が交流しているだけに作品には肉声とともに独特の熱気があふれる。

 第二は「モデル小説」だ。特定の人物や企業を連想させる設定でその時代の出来事が絡む。高杉リアリティーの真骨頂といえる作品群がそろう。『腐蝕(ふしょく)生保』は大手生命保険の首脳がモデル。経済誌トップの実像に迫った『首魁(しゅかい)の宴』は傑作だ。ダーティーヒーローを描くとき筆致は一段とさえる。政権が変わろうとも影響力を持ち続ける政商の姿を描いた『虚像の政商』、メディアの闇をえぐった力作『乱気流 小説・巨大経済新聞』……。現実にあったあの出来事、あの人物が時代の風景とともに次々と浮かぶ。

 第三は「同時代小説」といえる分野だ。バブル崩壊後の日本社会の変容と行き過ぎた市場原理主義に対する危機感がくっきりと表れる。シリーズ作品の『金融腐蝕列島』は総会屋への利益供与事件、不正融資、金融再編などが織り込まれ、金融の激動が生々しく描かれる。『小説巨大証券』『小説新巨大証券』は四大証券をモチーフにインサイダー取引、主幹事をめぐる激烈な争い、会社乗っ取りなどを取り上げ、バブル経済の病巣がえぐり出される。


辞令高杉 良

定価:本体850円+税発売日:2017年11月09日