2018.01.11 別冊文藝春秋

『空を拓く』門井慶喜――立ち読み

文: 門井 慶喜

電子版17号

 茶碗のなかで、茶の水面が斜行している。むろん茶碗のほうが斜塔になっているのだった。

「畳というより、その下の床板がかたむいているのだろう」

 などと父や母は言ったけれども、それくらいなら子供にもわかる。金吾は、

(おもしろい)

 ふしぎと心がひかれ、それぞれの部屋の畳に鈴を置いてみた。たいていの部屋では微動だにしないのに、例の座敷では、ちろちろ、ちろちろと楽しげな音を立てつつ玄関とは反対のほうへ走りはじめる。

 何度やっても、ちろちろ、ちろちろ。見えない糸でひっぱられているようで、いよいよおもしろい。金吾はふだんの労働のあいまに家を外からながめたり、縁側の下をのぞきこんだりと、一か月ほど観察をかさねた。そうして或る晴れた日に、

「わかりました」

 金吾は、父と母を縁側に呼び、天を指さして、

「悪いのは、屋根です」

「屋根?」

「ここだけ瓦葺きで、あとはみな藁葺きでしょう。それが畳のかたむきの理由でした」

 足もとの不都合の原因が、なぜ頭上にあるのか。

 この子は摩利支天にへんな夢でも見させられているのではないか。不安というより物の怪でも見るような顔をした両親へ、金吾は夢中で説明した。なぜなら両者は重さがちがう。

 陶器と稲藁という材質の差により、ふだんは瓦葺きの屋根のほうが重い。当たり前のことだ。ところが雨がふると一変するので、藁葺きのほうは水を吸う上に、厚みが二尺(約六十センチメートル)もある。

 大雨ともなれば圧倒的な力が下向きにかかることになる。そうしてそんな日はもちろん地面の土もしめりけを帯び、やわらかくなるから少しずつ柱がしずむことになる。

 箸が豆腐にしずむようなものである。いっぽう瓦屋根のほうは雨がみな上っ面のところで流れ落ちてしまうため重さが変わらず、柱もしずむことが少ない。長年のうちに両者の差がひろがり、ひずみの度合いが大きくなれば、境目のところの床板は或る時点で耐えられなくなり、とつぜん“みしり”と音を立てて・・・・・・まあ音が立つかどうかはわからないが、しずむほうへ引きずりこまれ、かたむきが生じてしまうわけだ。

 床板の上の畳もまた、同時に斜面となるだろう。その上で暮らす大人や子供はいったい何のことかわからぬまま、客に出した茶碗のなかに茶の水面のかたむきを見たり、あるいはちろちろ、ちろちろと楽しげな音を立ててころがる鈴を見たりする。文字どおり、坂の上で暮らしているわけだ。

「まちがいありません、お父様」

 と、金吾は、われながら得意そうに言いきった。

別冊文藝春秋からうまれた本



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