書評

帰ってゆく父

文: 川本 三郎 (評論家)

『長いお別れ』(中島京子 著)

『長いお別れ』(中島京子 著)

「二度童(にどわらし)」と言う。人間は年を取るとまた童(子供)に帰る。遊園地に迷いこみ、幼ない子供たちと遊ぶ昇平は、子供に戻っている。これから人生を始めようとする子供と、終えようとする老人が一瞬、子供どうしとして触れ合っている。

 のちに妻の曜子が、夫を「まごころデイサービスセンター」という高齢者介護施設に通わせることにしたのは、そこが公立小学校の隣にあって、ときどき小学生たちが施設を訪問すると知ったからだった。「老人と子供はそもそも相性のいい存在でもある」。

 昇平が、小学三年生の孫とこんな会話をするのも心に残る。

「このごろね、いろんなことが遠いんだよ」「遠いって?」「いろんなことがね。あんたたちやなんかもさ」

 昇平は、自分が徐々に現実社会から離れていっていることに気がついている。「遠い」ところへ行こうとしている。

 そのあと、中島京子はこう書く。

「そう言うと祖父は穏やかに小さな孫を見て微笑んだ」。

 ここには現実から「遠い」ところへ行こうとする老人と、まだ現実には「遠い」子供とのあいだの優しい一体感がある。この小説が認知症というつらいテーマを扱いながら、決して悲惨な印象を残さないのは、中島京子が老人と子供のお伽話のように穏やかな一瞬を見逃していないからだ。父親を「哀れな病人」とだけで見ていないからだ。


 とはいえ、認知症は確実に進む。病院や施設があるとはいえ、最後に父親を介護するのは家族のひとりひとりだ。

 歌人、小島ゆかりに「徘徊の父、就活の娘あり それはともかく空豆(そらまめ)をむく」という歌がある。

 父親が認知症になったとしても、東家には「それはともかく空豆をむく」日常がある。健康な人間は、日々、それをこなしてゆかなければならない。

 長女の茉莉は、海洋研究所に勤める夫の仕事でサンフランシスコ近郊のモントレーに住んでいる。高校生と小学生の男の子がいる。家族とは別の彼女自身の日常の暮しがある。日本で暮す両親のことを心配しながら、いまの自分の暮しを守らなければならない。次女の菜奈は、菓子メーカーに勤める夫と、小学生の息子と暮している。三女の芙美は独身でフードコーディネイトの仕事に忙しい。

 成長した三人姉妹には自分たちの生活がある。七十歳を過ぎた母親が一人で認知症の進む父親の介護をするのは大変だと分かっていても、なかなか手助けする時間の余裕がない。

 小津安二郎監督の「東京物語」に、尾道に住む母親(東山千栄子)が亡くなり、その葬儀が終わると兄(山村聰)も姉(杉村春子)もあわただしく東京に帰ってしまう場面がある。尾道に住む末娘(香川京子)は、兄も姉も冷たいと怒る。それを義姉(原節子)が柔らかくたしなめる。「子供って大きくなると、だんだん親から離れていくもんじゃないかしら」「誰だってみんな自分の生活がいちばん大事になってくるのよ」。大人の考えである。

 それでも東家の三姉妹は決して親に冷たくはない。父親のことも母親のことも気にかけている。長女の茉莉はなんとか家事をやりくりして時間を作り、サンフランシスコから日本の両親のもとに駆けつける。次女の菜奈は、四十代半ばで新たに妊娠した身でありながら、父親の介護の手助けをしようとする。いつも仕事が忙しい忙しいといっては実家に顔を出さない三女の芙美も、両親を捨てては置かれない。

長いお別れ中島京子

定価:本体660円+税発売日:2018年03月09日


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