「晩秋」
藩主の側用人で、冷酷な奸臣と言われた進藤主計。その主計を父の仇と狙う津留という娘。この二人の、ほとんど一瞬に近い、ある触れ合いを描いた物語である。
山本周五郎は、戦前から戦後にかけての一時期、「岡崎藩物」とでも呼ぶべき一連の作品を多く生み出している。「武道無門」は臆病者であるがゆえに周到な準備ができることを藩主の水野忠善に認められる武士の物語であり、「討九郎馳走」はやはりその忠善が無骨そのもののような武士に、およそ彼には似合わない、藩内を通過する大名の接待役を申し付けるところから始まる物語だし、また「蕭々十三年」は、忠善に遠ざけられてしまった荒武者の、最後の「御奉公」の物語、といった具合だ。藤沢周平における海坂藩ほどの明確な意図はなかったかもしれないが、これらの作品を集めれば岡崎藩というひとつの藩をめぐる小宇宙が成立するかもしれないと思えるほどの量である。
この「晩秋」もまた、やはり舞台は水野忠善から忠春に家督が譲られた岡崎藩に設定されている。
津留は、世話係として身近に接しているうちに、果たして、この進藤主計が本当に冷酷な奸臣なのだろうかという疑問を覚えるようになる。だが、それは、奸臣を取り除こうとして失敗し、自刃に追い込まれた父の恨みを晴らす、という娘としての絶対の使命に混乱をもたらすものだった……。
この二人の最後の「対決」のシーンの美しさは格別だ。
そこで津留は、ひとりの男の、その冷酷さの奥に秘めた深い覚悟を知ることになる。
そしてまた、私たち読者は、このときの「人には世評だけでは判断できない複雑なものがある」という人間理解が、やがて長編『樅ノ木は残った』で全面的に展開されるのを知ることになるのだ。
「おたふく」
この「おたふく」は、一般に「おたふく物語」として流布されている連作三編のうちの一編である。
その三編は、たとえば新潮社版の「山本周五郎小説全集」の第二十五巻においては、「おたふく物語」という総タイトルのもとに「妹の縁談」「湯治」「おたふく」の順に並べられている。「妹の縁談」では姉のおしずが妹のおたかの縁談をまとめるまでが描かれ、「湯治」ではおしずとおたかの姉妹にとって悪縁としか言いようのない兄との葛藤が描かれ、最後の「おたふく」でおしずの結婚と、それによって巻き起こる小さな嵐が描かれる。
だが、この三編はそれぞれにおしずという魅力的な女性を描き出しながら、三編が並ぶと話の展開に滑らかでないところのあるのが気になってくる。それは、これらの三編が最初から意図された連作ではなかったために、ある種の重複感を覚えてしまう箇所があるからなのだ。
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