- 2018.05.23
- 書評
小説化を躊躇するようなテーマに挑み、先入観による誤読を恐れず、 成功した作品
文:佐藤 優 (作家・元外務省主任分析官)
『さよなら、ニルヴァーナ』(窪 美澄 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
〈「おまえ、ニルヴァーナとか好き?」
いつもより、いっそう早口でWがその言葉を口にしたのでその単語を聞き取れず、何? と言いながら、右耳をWのほうに向けた。
「ニル、ヴァー、ナ。ニ、ル、ヴァー、ナ」
Wは音節を区切り、口をゆっくりと開けて、その単語をくり返した。とはいえ、その単語を覚えてみても、それがどんな意味なのか、そのときの僕にはまったくわからなかった。
「バンドの名前だよ。おれが好きな。ここ出たら聴いてみなよ。おれはさぁ、あのブタ女を刺したときも、あいつらの曲を聴いてたんだよね」
音楽のことにはまったくくわしくないから、Wが何を言ってもその言葉は耳を通り過ぎてしまうような気がした。けれど、そのときの会話のことは、あの場所を出たあとも忘れず覚えていた。初めて聞くニルヴァーナ、という不思議な音が僕の耳に残った。〉(295~296頁)
意味はわからなくても、ニルヴァーナという音が晴信に肉体化する。そして、晴信が倫太郎と名を変えて、新しい人生を始めてからも、ニルヴァーナは、肉体から離れていかない。ニルヴァーナには、仏教用語で「涅槃」という意味がある。涅槃には、死への誘惑が伴っている。倫太郎が死を望んでも、国家が死を許さないのである。その論理が、本書では端的にこう説明されている。
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