小屋を間違えたのだろうか? 壁のスイッチを押す。蛍光灯の光が室内を照らし出した。眩しさに目を細めた岳士は、床に埃が全く積もっていない場所があることに気づく。ごく最近までここに何かが置かれていた。やはりここは、昨夜見つけたサファイヤの製造所に違いない。
昨日、意識を失ってから、今日の午後に戻ってくるまでの間に薬品や機器は全て運び出された。何故か。理由は簡単だ。ここが見つかったからだ。
「ちくしょう!」
岳士はちゃちな作りの壁を思い切り蹴りつける。小屋全体が震えた。
手を伸ばせば届くところまで迫った犯人の手がかりが消え去ってしまった。今後、錬金術師は警戒を強めるはずだ。新しいサファイヤの製造所を見つけることは、もはや不可能だ。
おしまいだ。これが最後のチャンスだった。地獄に垂れた蜘蛛の糸は切れてしまった。
うなだれた岳士は、机の上に何かが置かれていることに気づいた。近づいてみると、それは茶封筒だった。開いて覗きこむ。中には数枚の写真と紙が入っていた。封筒を逆さにすると写真だけが出て来た。喉から悲鳴じみたうめきが漏れる。
そこに写っていたのは岳士自身の姿だった。川崎のマンションのエントランスに入る姿。外廊下を歩く姿。部屋に入る姿。
なんで、こんな写真が? あのマンションに潜んでいることは、警察にも知られていないはずなのに……。
小屋の中は蒸し暑いにもかかわらず、寒気に襲われる。奥歯がカチカチと音をたてはじめた。
岳士は震える指先を封筒に入れる。毒蛇が潜んでいる穴に手を差し込むような心地だった。取り出した紙にはやけに角ばった太い文字が記されていた。
「ずっとお前を見ている 盗んだものを返せ」
「うわあ!」
紙と封筒を放り捨て、岳士は後ずさる。
ずっと見られていた? 誰にも気づかれないように身を潜めていたはずなのに、ずっと監視されていた?
監視? 誰に?
決まっている、真犯人だ。早川を殺した犯人に、殺人犯に俺はずっと監視されていたんだ。
すぐ背後に誰かが立っている気がする。岳士は「ひっ」という悲鳴とともに、振り向きざま右フックを振るう。しかし、拳は空を切るだけだった。
再び背後に人の気配。岳士はファイティングポーズを取って振り向くが、やはりそこには誰もいなかった。
逃げないと。いますぐに逃げ出さないと。
走ろうとするが、足が縺れてしまう。何とか窓から這い出た岳士は、何度もつまずきながら暗い林の中を駆けていく。その間ずっと、背後から誰かがついて来ているような気配が纏わりついていた。
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