玄関に上がった岳士は、扉の鍵を閉め、チェーンをかけると、靴を脱ぐこともせず奥のリビングに入る。
大学のキャンパスをあとにした岳士は、バイクを飛ばして川崎のマンションへと戻ってきていた。
本当ならこの部屋に戻ってきたくなかった。けれど、逃亡生活に必要なものはこの部屋に置かれている。岳士は机の抽斗を全て引き抜いて床に並べていく。
所持金と渋谷で男から奪った免許証、早川の部屋の金庫から見つけた資料とノートパソコン、それに……。
必要なものを次々とバッグに詰め込んでいた岳士の視線が、抽斗のサファイヤに引き寄せられる。その淡い輝きは、いまにも崩れ落ちそうな精神をいくらか安定させてくれた。
抽斗へ手を伸ばしかけたとき、インターホンのチャイムが空気を揺らした。岳士は勢いよく振り返り、玄関扉を凝視する。再びチャイムが鳴り響いた。
真犯人か? とうとう真犯人が俺を殺しに来たのか。唾をのみ込んだ岳士は、震える手でプラスドライバーを取って立ち上がる。玄関に近づくにつれ、ドライバーを持つ掌に汗が滲んできた。
「来るなら来いよ……。返り討ちにしてやる」
ドアスコープを覗いた岳士は、膝が崩れそうなほどの脱力感に襲われた。
「ちょっと、岳士君。いるんでしょ。開けてよ。彩夏だってば」
外に立つ彩夏が声を張り上げる。岳士はチェーンと鍵を外し、扉を開けた。
「もう、早く開けてよね」
頬を膨らませながら玄関に上がり込んできた彩夏は、岳士が手にしているドライバーを不思議そうに見る。
「家具でも組み立ててたの?」
「いや、なんでもありません」
岳士は慌ててドライバーを靴入れの上に置く。
「それより、何か用ですか?」
「なによ、用がないと会いに来ちゃいけないの。二回もヤッたのに」
「そういうわけじゃ……」
「冗談だってば。ただ、コンビニで買い物して戻ってきたら、岳士君が真っ青な顔で非常階段駆け上がっていくのが見えたからさ。なにかあったのかなと思って」
「いえ、べつに……」
言葉を濁す岳士に疑わしげな眼差しをくれると、彩夏はわきをすり抜ける。岳士が「あ!?」と声を上げたときには、彼女はリビングに入っていた。
「ちょっと!? なに、これ?」
部屋の惨状を見て、彩夏は甲高い声を上げる。岳士が答えられずにいると、彩夏は大きく口を開いたバッグの前に跪き、その中身を出していく。ついには、早川の資料を取り出し、それをぱらぱらとめくりはじめた。
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