別冊文藝春秋

『スタッフロール』深緑野分――立ち読み

文: 深緑 野分

電子版20号

 思わず自分で自分の口を押さえる。リーヴ社長は懐が深いのか、穏やかな笑みを口もとに浮かべたまま、「はじめまして、よろしく」と挨拶した。

 レクタングル社はつまりリンクスの親会社で、本社はロサンゼルスにあり、カナダやシンガポールにもスタジオを持っている、大手SFX・VFX制作会社だ。ILMほどメジャーではないが、コンピュータ・グラフィクスの創成期から名前が登場する老舗のひとつだ。

「ど、どうも……ヴィヴィアン・メリルです。お目にかかれて光栄です。あの、作品を手がける際にあれだけ多くの会社をまたいで作業をされる時ってスーパーバイザーさんたちはどうラインを管理されるのか不思議でいつも」

「ヴィヴ、ヴィヴ。ストップ」

 夢中で日頃感じていることを前のめりにしゃべくると、メグミに止められた。リウは呆れて首を振りながら社長に「申し訳ありません、ちょっと興奮しやすいやつで」と謝っている。

「ごめんなさい、つい……」

「社長、彼女が問題の張本人です。このたびは本当に申し訳ありません」

「いや、元気があっていいよ」リーヴ社長は白いクロスがかかったテーブルに両肘を突き、顎に手をやった。「こちらこそ無理を言って場所を変更させて悪かったね。でもこういう方が落ち着くだろう? 気軽でよさそうなお店を選んだんだよ」

「え、ええ? はい、まあ……」

 落ち着くわけがない。こちとら、日頃はジューススタンドの野菜ジュースにダノンのヨーグルト、給料日後に好きなカフェで食べるトーストと焼きトマトとマッシュルームの朝食を楽しみにしているような身分なのだ。ちらりと隣のヒメネスに視線をやると、彼も同じことを考えているのか、唇を曲げて肩をすくめた。

 白いクロスがかかった品のいいお店で食事なんて、いつぶりだろう? この規模で気軽とは……。一人前で二十ポンド(日本円で四千円程度)するブランチだったらどうしよう。まさか三十ポンドとか? 無理。

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発売日:2018年06月20日