最近の展覧会では、作品の横に解説パネルがつくことが常識ですが、その扱いはあくまで添え物の域を出ません。鑑賞に極力影響を与えないよう、良く言えばニュートラル、悪く言えば無味乾燥な文章になってしまいがちです。これは、もしかしたら我々美術館人が本来的に有する先入観、美術館とは複製でなく本物の絵画や彫刻を見るための場所であり、夾雑物(きようざつぶつ)たる文字情報はなるべく排除した状態で作品そのものとの対話を楽しむべきという、ある種の実物至上主義に由来するのかもしれません。対して、中野さんのスタイルは遥かに自由です。広範な知識を語りつつも、選ばれる言葉は直感的でさえあり、今まさに作品を目にした感動に寄り添ってくれるかのようです。
結局のところ、言葉を駆使して絵を「読む」ことの醍醐味を伝える中野さんの意図を汲むべき企画のはずが、私のほうでは絵は「見る」ものだという旧態依然とした考えに囚われていたのかもしれません。今思えば、臆病なうえに頭の固い学芸員の話をよくぞ辛抱強く聞いてくださったものです。話し合いを重ねるうちに、見るからに怖い絵でもなく、コンテクストを深読みすることで初めて怖さが生まれる絵でもなく、歴史や神話の分野で怖い事件や物語をテーマにした絵を展覧会の中心に据えるという方向性が定まってきました。そういった作品もまた中野さんの得意分野ですし、怖さのエッセンスを比較的短めの文章でも伝えることが容易だからです。
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