しかし、3月11日を境にして状況はまるで変わってしまった。当時、人々の知りたかったことが、その論文に詰まっていたのだ。しかも分量は十分にあり、多少のリライトを施ほどこせばすぐに書籍化できそうなレベルに達していた。すぐに懇意にしている講談社の編集者を彼に紹介し、論文はソフトカバーの単行本という形でその年の5月には出版される。
本は出版後たちまち話題になり、メディアは震災の話題を扱うたびにこぞって彼を取り上げた。1、2年もしないうちに、この国はすっかり震災に対する興味を失ってしまったが、彼は得意とする分野を次々と変えていった。
2050年の日本を舞台にした未来小説、日本社会の仕組みをビジュアルで解説した図鑑などを精力的に発表し、いつの間にかすっかりと文化人と呼ばれるカテゴリーに収まる人物になっていた。最近では映画やドラマの脚本までを手がける。彼が注目を浴びたのにはいくつかの理由があるが、最大のポイントは名前にあったと思う。
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