彼はファーストネームを平成(ひとなり)という。この国が平成に改元された日に生まれたという安易な命名なのだが、結果的にその名前は彼の人生に大きく貢献することになった。彼は「平成くん」と呼ばれることで、まるで「平成」という時代を象徴する人物のようにメディアから扱われ始めた。
しかも「平成人」と言われて納得のしやすい容貌をしていた。187センチという長身に、宇宙人のような逆三角形の輪郭の小さな顔。目元までを覆うような重たい前髪。細いながらも眼光の鋭い目。だけど唇だけは分厚くて、モデルといわれても、連続殺人犯といわれても、納得できてしまうような顔つきだ。「ゆとり世代」や「さとり世代」といった世代論が話題になるたび、彼は平成の代表としてメディアに呼ばれることになった。
私が平成くんと初めて会ったのは雑誌の対談だった。
一応はアニメプロデューサーやイラストレーターという肩書きのある私だが、実際のところは父が残した著作物の管理が主たる仕事である。漫画家だった父、瀬戸流星は、アニメ化もされた人気作品をいくつも残しているが、その中でも『ブブニャニャ』というキャラクターは1500億円規模のビッグビジネスになった。連載自体は1975年に始まり、休載を挟んで父が死ぬ1999年で終わっているのだが、今でもアニメは毎週放送されていて、毎年春に公開されるスペシャル映画は興行収入30億円を下らない。
現在は母が著作権利会社である瀬戸プロの社長を務めるが、67歳の彼女はそろそろ代表権を譲りたいと言っている。私も数年前から『ブブニャニャ』関連の仕事を増やし、瀬戸流星の娘としてメディアに出る機会が増えていた。平成くんは、『ブブニャニャ』誕生40周年記念となる映画に脚本家として参加していた。そのプロモーションのため『ダ・ヴィンチ』で、私と彼の対談が組まれることになったのだ。
初対面の印象はよく覚えている。ロボットのような人だと思った。極めて論理的に物事を話すが、適度にジョークを織り交ぜる。真剣な表情で会話をするが、定期的に笑顔を交える。このジョークと笑顔のペースが、あまりにも一定の間隔で訪れるもので、私は強烈な違和感を覚えた。
対談の終わりにそのことを指摘すると「最近は上手にシミュレーションができていると思ったのに」と不服そうに語った。その表情は彼が得意だというシミュレーションには見えず、人間らしいところもあるのだとひどく安心した記憶がある。同時に、彼のことをもっと知りたいと思った。