平成くんとの会話はまるでグーグルホームを彷彿(ほうふつ)とさせるが、スマートスピーカーと違って、彼は時々、堂々と間違う。確かにこのフォアグラのタルトはセザンヌの絵に見えないこともないが、シェフが気ままに花を並べただけという可能性も高い。食後にシェフを呼んで、彼に恥をかかせてやろうかといじわるなことを考えて、思わずにやけてしまう。
「急に笑い始めてどうしたの」
「平成くんが愛しいなって思ってたんだよ」
嘘ではない。ナイフを慎重に動かしながら、花を切り分けていく。次第に姿を現すフォアグラにフォークを突き立てる。ナイフで切り分けるのではなく、このまま齧(かぶ)り付きたいと突発的に思ったのだ。だけど、フォークを持ったまま手が止まってしまった。どうしたのだろう。彼は不思議な顔で私のほうを見ている。私はたまらずナイフからもフォークからも手を離す。ガチャリと甲高い音を立てて、ディナープレートの上にナイフとフォークが落ちた。
「気分が悪いの? 大丈夫?」
平成くんは、まるで3歳の子どもが母親を心配するような話しぶりで、私の顔を見つめる。私も彼の顔をじっくりと見返す。彼の下唇にはよく見ると小さな傷が付いている。子どもの頃、「実験」をしていて自分でつけてしまった傷だという。唇には身体の他の部分よりも痛点が多いことを確かめたかったらしい。それにしても、今日も君は前髪が重苦しいな。そんなんじゃ、目が悪くなっちゃうよ。ああ、早く本題を切り出さなくちゃ。聞くべきことは決まっているんだから。
「ねえ平成くん、なんで死にたいと思ったの?」
少しでも語調を間違ったら詰問に聞こえるかも知れない。だから、私は努めて平静を装って彼に尋ねた。彼が言葉の微妙なニュアンスを気にする人間ではないことは知っていたが、自分自身が冷静であることを確認したかったのだ。
「それより気分は大丈夫?」
確かに私は彼の問いかけに答えていなかった。
「大丈夫だよ。だから、私の質問に答えて」
今度は、口調が少しきつくなってしまったのが自分でもわかる。つい1時間前は、彼が死を考えていることなんて知りもせず、どんなセックストイを選ぶかということに夢中だったはずなのに。
「どこから話せばいいかな」
そう言いながら、彼は人差し指を目頭に当てながら、両手で頬杖をついた。いつもは何事も理路整然と話す彼だが、時折このように悩む仕草を見せる時がある。それは自分の中で考えが整理できていないというよりも、どうすれば聞き手にわかりやすく言葉が届くのかを思案しているのだ。しかし経験上、彼がそのようなポーズを見せて、主張をかみ砕こうとしている時ほど、話はわかりにくくなる。
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