二人してエレベーターに乗り込んで、B1のボタンを押す。エレベーターの一面は鏡になっていて、身長差が30センチもある私たちの姿を映す。
誰かが勝手に何者かと勘違いしてくれることを期待した金髪のショートカット。未だに高校生と間違われることもある化粧っ気のない顔。無理して着ているサカイのスパンコールドレス。ニューヨークで大量に買ってきたマノロブラニクのパンプス。クロコマットのバーキン。必死に何者かになろうとして、外見だけをちぐはぐに取り繕っている私と、自然と何者かになってしまう平成くんの間には、身長以上の差があるように見える。
せめて手をつなぎたいと思った。セックスは嫌がる彼だが、手をつなごうとして拒絶されたことはない。彼の左手からディオールの手袋を脱がせ、そっと私の右手を重ねる。平熱が36度に満たない彼は、指先も驚くほどに冷たい。私の顔ほどはある長い指先を、さするようにぎゅっと掴(つか)む。すると珍しく、彼が自分から私の指先を握り返してくれた。
UBERは平成くんが呼んでくれていたらしい。地下駐車場から黒塗りのアルファードに乗り込むと、無言でiPhoneを渡される。アプリに行き先を入力すると、車は静かに走り出した。東京の街には19時を過ぎても、溢れるほどの光が満ちている。六本木通りから見上げた赤坂インターシティは未来都市のように輝いていた。
彼は、暗闇を極端に嫌う。夜の早い奈良では、ホテルに向かう道中で、何度も躓つまずきそうになっていた。「これだから田舎は嫌いなんだよ」とぶつぶつと呟いていたのを昨日のことのように思い出す。テレビでも同じことを言ったらしいが、彼の発言としては珍しく一切批判の声は寄せられなかった。奈良が田舎というのは、地元の住民を含めて誰一人反対することができない命題だったのだろう。現在でも奈良で最も高い建物は、興福寺五重塔だという。
渋滞に巻き込まれることもなかったので、レストランには予約した時間よりも早く着いてしまった。外苑東通りを国立新美術館方面に曲がり、一本奥まった場所にある店には、ヴォストークという名前がつけられている。ロシア語で「東方」を意味するのだという。若い店員が「平成くん」に気付いたのかどうかは知らないが、恭(うやうや)しい態度で奥まった個室へと案内してくれた。飲み物を聞かれたので、彼には何も確認せずにグラスでペリエ・ジュエを頼んだ。平成くんは「自ら理性を捨てる意味がわからない」という理由でアルコールを好まないが、完全に拒絶まではしない。二人で食事に行くときは、「1杯目はシャンパン」というのが、暗黙の了解になっていた。
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