この小説は一九八四年四月から一九八六年二月にかけて「中日スポーツ」紙などに「あした吹く風」のタイトルで連載され、その後、単行本として刊行されたものである。銀座デパート戦争が勃発しているさなかに書かれたものなのに、いまも全く古さを感じさせないのは、そこに登場する人物たちの振る舞いに、現在の自分たちの身の回りにいる人物たちを投影することができるからだ。そして、いつのまにか、主人公に感情移入をしていくのは、自分の役割や責任を正しく果たすことでサラリーマンという職業人としての矜持を示そうと苦闘する姿に共感するからだろう。高杉の小説が多くの読者をひきつけるのは、主人公が見せる「矜持」の美しさだろう。猪突猛進の正義漢は自爆することになりかねないし、ただのイエスマンや面従腹背は心も顔つきも歪んでいくだけだ。
家庭をかえりみる余裕のなかった津川が最終章では、吹っ切れたように子どもたちと向き合うようになった。会社の仕事や行事はさておいても子どもの運動会にかけつける昨今のパパまで津川が進化したとは思えないが、その片鱗は見せている。読者にとって最後まで気がかりだったのは妻、真弓の動向だ。キャリアウーマンの妻の物語に作者が紙幅を割いたのは、時代の先取りと言える。数字のうえで、共働き世帯が専業主婦世帯を上回ったのは一九九〇年代後半で、キャリアウーマンが珍しくなくなったのは、さらに最近のことであるからだ。ついでにいえば、長女、紀子の万引き事件は、愛着障害の一種かもしれない。生まれて二、三年の間に形成される通常の母子関係がうまくできなかったために、甘えのような形で遅れて愛着が形成されるようになることだ。
銀座戦争から三十数年たったいま、この小説を片手に、変貌した銀座を歩いてみよう。ママに負けないキャリアウーマンになった紀子と楽しげに歩く白髪の津川が見えるはずだ。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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